TDM - トウキョウダンスマガジン

TAMAKI・プロダンサーの可能性
今回はこれから一般にも知られていくであろうダンサーを紹介という切り口から、TDMから登場したといっても過言でない実力派ダンサーに登場を願いました。このインタビューではフランスを始めとするヨーロッパのダンス事情、プロダンサーの可能性など、非常に興味深い話が聞けました。
TDM上ではTAMAKIで名が通ってますが、基本的なところでお名前をお願いします。
鳥谷部 環(トリヤベ タマキ)です。24歳。今年25です。
フランスでの活躍はよく耳にしますが、ダンスとの付き合いはどれくらい?
ダンスを一番最初に見たのはDADAの初期。まだCrazy-Aさんがレギュラーになってなくて、KAZさんの全盛期。ホーシング※がまだ流行る前ですね。
※ホーシング:90年代初頭、New Jack Swingと呼ばれるブラックミュージックとともに日本に入ってきたダンススタイル。
DADA LMD※のころですね。
そーですねー。割と早い時期からやってる部類じゃないですか。当時は踊るっていえばMAHARAJAとか(笑)。新宿のディスコ全盛期でクラブが出始めたころ。ややクラブっぽくなってきたところでセンチュリーとか。あと渋谷にあった、いまだに名前は残ってるとこ。
※DADA LMD:同時期にZOOなどが出演したTV番組。規模が小さかった初期がDADA LMD。
J-Trip Bar?
それ、渋谷のJ-Trip Bar。渋J。懐かしいね。
そのころクラブってどういう感じでした?
DorDとかZOOとかが活躍してたかな。あとうちの派閥みたいなもので「Maniac」って言うのができるのもこの時期くらい。「Maniac」っていうスタイル。RI-ICHIROくんとP-Scottyっていうチームが青山※からメインストリート※に出るようになって。
※AOYAMA NIGHT:クラブチッタの移動とともに現在休止中(?)のダンスイベント。若手ニュースクールダンサーの登竜門。

※MAIN STREET:名実ともに関東ではトップレベルのダンサーが集結するイベント。
「Maniac」っていうスタイル?
そうスタイルですね。「Maniac」スタイル。AMURI君※とかがあとから入ってきた感じ。これはセンチュリーのメンバーがバトルで踊ってるうちに、いつのまにか、ホーシングがヒップホップのノリになってきて。
※AMURI:元Foolish、現Butter。独特の音のはずし方や重いノリが玄人の間で絶賛されるダンサー。
デカく重く?
そう、デカく重く、そしてより黒人ノリに。多分KITO※とかの、あそこらへんの影響がホーシングに入ってきて、ただ単に「踏む」ステップじゃなくて、そっから変化するオリジナル。Maniacってオリジナルって意味だから。多分日本で初めて自己主張が始まったスタイルじゃないかな。だから「Maniac」っていう存在はけっこう大きいかなと、僕的には。HIRO、Dance FusionのHIROも、もともと「Maniac」の一派ですし。
※KITO:NYのダンスチーム、Mystedious Misfitsのメンバー。ビデオ「ZOO V」、「Alive TV」などで日本人ダンサーに与えた影響は絶大。
言葉として「Maniac」というのを聞くのは初めてなんだけど、そういう集団、クルーみたいなモノがあったわけですね?
集団というよりは、浦和とかのメンバーと、北千住のとんちんかん※とかが入り乱れていろんなものを生み出してきて。とくにRI-ICHIROくんとAMURIくんの二人とかHASEくんとかが先頭切ってた。浦和系のリーダーがRI-ICHIROくんで、東京方面はAMURI君がリーダーみたいな感じだった。
※れいかんやまかんとんちんかん:TV番組「ダンスダンスダンス」などで活躍。メンバーは現在もMCやイベントオーガナイザーとして活動中。
この辺の人たちにダンスを習って始めたという感じ?
全然そんなことないですね。だから誰にも習ってないって言う方が正確。仲間にENDOっていうのとO-MORIっていうのがいて、この二人と踊ってたんですよ。J-Tripもこの3人で出た。で、ENDOくんがKENJIくん※の弟子だったんですよ。そういう関係で僕がKENJIくんと知り合いになって。その時期にIZUM※とも会って。横浜ですね。まだZOO全盛期のころ。
で、IZUMの方がどっちかというと青山とかのでっかいイベントに出るようになって。うちらのほうはもうRI-ICHIROくん派閥で影の暗殺部隊みたいな(笑)。クラブにいってバトル売って「誰だあいつは?」みたいな感じで帰るっていうのが楽しくってたまらなくて。それは田舎者発想なんですけど。決して都会の人間がやらないことですよね(笑)。だからバトルのダンスですね、僕がやってきたヒップホップの中心は。高校1年、2年、3年になると、六本木とか渋谷とか新宿とか、とりあえずもう「バトる」のが普通だった。
※KENJI:ソウルやロッキングを生かした独自のハウススタイルなどが人気だったSpiceのメンバー。現在Soul ColorsとしてTAMAKI氏とともに活動中。

※IZUM:元Spicy Chilli、現Stax Grooveのイズミくん。実力派揃いのStax Grooveの中でも抜群のセンスが光る若手トップダンサーの一人。
バトルっていうとブレーカーってイメージあると思うけど。
うちらはジャイバー※だったからブレーカーと遊ぶ機会が多かったっていうのもあるかも。でもRI-ICHIROくんとかが関わってくると今度はまたちょっと違うジャイブ。センスが違う。ブレイクの技をそのまま使うと真似になるから、「立ち」で使える大技みたいなものを開発するようになる。そうやって生まれてきたのがManiacスタイルの有名な技だと「二段シフト」。92年くらい。「二段シフト」ってのは足を一回バンと止めて、そっからもう一回上に上がるシフト。だからポップが入ってると言えば入ってるシフト。 そんなのを作ろうと思ったのはこういう人たち。だからAMURIくんがシフトをガンって上で止めるのをやるようになる前に、RI-ICHIROくんがそういうのを始めてその影響下でAMURIくんがああいうのをやるようになった。
※ジャイブ:ドンキー、シフト、ドルフィン(=シャチ)やバクテンなど、アクロバティックな技の一部をジャイブ(Jive)と呼んだ。
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