TDM Special Interview
DJ KATSUYA |
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”日本のラリーレヴァン”とも思えるぐらいのNATURALな存在感を醸し出すDJ KATSUYA。そのキャリアは1987年に始まり、NYCにおいてもいい時期である1992年をNYで過ごし、本場のダンスミュージックに触れている。ダンス経験のある彼自身が産み出す、「踊りたくなる空間」はダンスシーンを築いてきた日本を代表する数多くのダンサーからの信頼されている。現在はBreath@代官山AIR、Hi-Life@西麻布YELLOW等、レジデントDJとして活躍する他、全国のクラブ、パーティーにゲストDJとして招待されている。 |
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DJ KATSUYAさんが今まで出会った中で印象的なダンスシーンは? |
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K:
昔はみんないい意味でクレイジーだと思ったよ。OHJIくん(JUNGLE)とかSAMさん(現TRF)、AKIRAくん(CLAZY-A氏)と…原宿のホコ天でブレイクダンスをやっていて、みんなガンガンですごくかっこ良かったね。あの当時(1980年代前半)の映像は、かなり鮮明に覚えているよ。
“WILD STYLE”※っていうHIP HOPカルチャーの映画の影響から、新しいカルチャーが本当に産まれようとしている時で、その一番手みたいな感じで、AKIRAくんや弟のNAOYAくん(元ZOO)とかが、みんなでバトルしているんだよね。そこでかかっている曲も、全てがカッコ良すぎて恐ろしかった。そこから自然にレコードを買うようになったよね。何ていう曲か分からないから、聞きたいんだけど、最初はみんなDJに聞くのが怖くて聞けなかったんだよね。当時、その日のホコ天が終わると、みんな新宿の東和会館に集まっていて、そこで顔見知りになって話せるようになったんだよ。そこでMARK(元ZOO)とかとも知り合ったし。MARKは1年、365日中364日ぐらいクラブにいたから出勤状態。(笑)
俺はとにかく遊ぶお金が欲しかったし、レコードとか欲しかったから、TV局とかの知り合いのツテでアルバイト程度のダンスをやっていたんだ。当時はレコードだって高かったんだよ。12インチシングルで2000円。六本木に朝方まで営業している「ウィナーズ」っていうレコード屋に通っていたんだ。
※WILD STYLE…Charlie Ahearn監督の1982年アメリカで公開された映画。グラフィティアートを中心に、ブレイクダンス、スクラッチ、ラップと80年代のHIP-HOPカルチャーを世界中に知らしめた作品。1983年には日本での公開に合わせて、MC、DJ、ダンサー等関係者総勢35人も来日し、本場のヒップホップが日本にもたらされた。
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K:
9歳の時にHOUSEに知り合ったおかげで、HIP
HOPとかのカルチャーに一切興味がなくなっちゃったんだよね。独自の世界だったな。
25歳くらいの時にニューヨークの“DANCE TRACKS”っていうレコード屋で、KOJIくんとHYROSSI(共に現ALMA)に「あのー、かつやくん?」って、声を掛けられたのがキッカケで知り合って、その後、ニューヨークから戻ってきて、KOJIくんが「SAMくんと
“NATIVE”っていうパーティーを始めたから、クラブタイムに回して欲しい。」っていってくれて、参加するようになった。その時はKANGOくん(現在都内人気DJ、またハウスチームROOTSのメンバー)も若かったし、まさか彼がDJをやるなんて当時は思ってもなかったよ。その当時はそういうクラブシーンが一切なかったから、あの時代が一番新鮮だったよね。
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DJ KATSUYAさんから見るダンサーってどんな感じですか? |
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K:
DJの視点からみれば、曲を変えると直ぐに「これ何ですか?」って聞きにくるような子は「音に対して感覚いいなぁ。あの子は踊りも上手くなるんだろうなぁ。」って思うね。やっぱり音を知っていた方が、踊りも上手いかな。踊りの面ではそんなに知識は深くないけど、ダンサー見てると、音を聞いて踊っているか、聞かないで踊っているか分かるよね。 |
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Update:06/02/17 |
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