TDM - トウキョウダンスマガジン

NAO・注目のハウスダンサー新勢力
ってことは、師匠みたいな人が特定にいたってことではないの?
ないね。でも自分を感動させてくれたチームは名古屋に1チームだけあって。Pd Unitsっていうんだけど、名古屋のスタジオでやってた時期に、(それを見て)おどりが自分の中で広がったっていう感じかな。すごいカッコイイ人たちです。
そこからNYに行こうと?
そう。ジャズとかやりながら、NYに行こうかなと思って行ったって感じ。
NYにはどういう形で?
学生ビザだね。
ホントに学校行ったの(笑)?
最初は1ヶ月間の英語学校に行って、うん。2日だったね、行ったのは(爆笑)。で、すぐにやめて。ダンス学校とかあるの知らなかったのね。で、最初は英語で行ったんだけど、何にもわからなかったんだよね。英語も何もわからずに行ったから。

だから、一番低いクラスから入ったんだけど、2日行ったけどわからなかったから、もういいやと思って。寝にくるだけ。マンハッタン出て、帰ってっていう生活ずっとやってた。で、それからダンス学校を知って、英語の学校行くよりダンスの学校行くほうがいいってことで。ブロードウェイダンスセンター(B.D.C.)に、一応学生の身分をキープするために行ってた。
お金も結構かかったんじゃない?
お金はかかった。まぁ貯めていったから。最初のころとかはよかったけど。最終的には「札幌レストラン」って49丁目にあるんだけど、そこでずーっと(アルバイトを)やってたんだよね。死にそうだったけどね。
踊るのは学校で?
最初の1年位は結構行ってたね。ジャズをすごいやっていたから他のものと両立していくつもりだったんだけど、自分の中で色々変化があって、自分の求めるものが違うところにあることに気づいたから。

でもモダンジャズちょっとやって、そこで出会った人たち(先生)が結構でかいね。今の踊りに、よーく考えてみたらつながってるね。
じゃあ、NYではハウスをやりにいったというよりも、ジャズをっていうこと?
最初はそうだったね。どっかにあったんだよね、ジャズを極めてやろうみたいな考えが。あと、ヒップホップでもハウスでもなんでもそうだけど、向うの文化だからね。原点を見ておきたいって思って。
ジャズから今のハウスへはどういう風に?
本格的にハウスに触れたのはSound Factory Bar※だったんだ。本当にリアルだったから、そこがきっかけで深くはまって行った。その頃はまだBRIAN※とかKITO※とか全然しらなかったのね、ダンサーのこと。「あれ、なんだ?超うめーな、こいつ」と思ってたら、日本でも有名なダンサーだったりね。TERRY※とMIKE※とかSHAN※とかばーっと来た時はすごかったね、クラブ行くと。みんなの踊りがすごいテンションで噛み合ってた。
※Sound Factory Bar:Junior Vasquezによるハウスメインのクラブ。もちろん在N.Y.。すでにクローズ。

※BRIAN:ダンスユニットWorld Soulを主催するダンサー。ブギーをはじめヒップホップ、ロックダンス、アフリカン、ジャズ、タップまでこなすがとりわけハウス界で人気。Busta Rhymes、Mariah Carrey、Foxy Brownなどのバックダンサーをつとめる。それぞれのダンスについて、見事なダンスを見せてくれる。もっとも成功しているストリート系のプロダンサーの一人。

※KITO:ダンスクルーMisfitsのメンバー。ビデオZOO V、Wreckin' Shop from Brooklynなどで日本のダンサー界に衝撃を与えた。そのタメをきかせたスタイルが、以降のダンサーに与えた影響は大きい。

※TERRY:Stepfenz/Elite Forceのメンバー。Mariah CarreyのツアーやTRFのバックダンサーとしてここ最近頻繁に来日。ステップ、アクロバットのどちらもイケル。

※TONY:Dance Fusionとして何度か来日している。彼の、音を聴き取るセンスは非常に評価が高い。

※SHAN:日本ではあの眼鏡と髭ダンスですっかりおなじみ(?)、シャンまたはシャネまたはシャネイ。N.Y.のニュースクールダンサーの草分け的存在。DJでもあるだけに、ステップとなかなか真似できない力(!!)技ともに恐ろしいほどに音をとるエンターテイナー。スタイルとしては一つの究極と言える(?)。
パリでもそうだった。平日じゃないんじゃないかって思うくらい人がいっぱい入ってた。何なの?っていうくらい盛り上がってた。
それぐらい行く(盛り上がってる)といいよね。N.Y.もそうだったな。
← Back12345Next →


Back Number