TDM - トウキョウダンスマガジン

KEITA 〜 生きる。踊る。〜
KEITA 〜 生きる。踊る。〜
純粋で真っ直ぐな熱い想い。“かっこいい”を求めて真っ直ぐに貫いてきた人生で、自分の中に見つけた「自分ができること」。ダンサーとして、人として…BASE HEADSとして培ってきたダンサーとしての実績。DREAMS COME TRUEのパフォーマーAKSの一員として大きなステージで活躍し、アーティスト同士が築いた信頼関係を更に進化させ、アーティストとしてできることを具現化するために努める日々。綺麗なエネルギーを感じるKEITAが発するひと言ひと言に注目。

KEITAKEITA

クラブシーンではBASE HEADSのキーマンとして活動。 メジャーシーンではDREAMS COME TRUEでのAKSというパフォーマーとして。 その他ではMISIA、MINMI、BoA、安室奈美恵、SUITE CHIC、倖田來未、Crystal Kay、平井堅、MICHICO、May-J、MEILIN、JYONGRI、SUGER、ZEEBRA、DABO、W-inds、Sowelu、SMAP、黒木メイサ、上戸彩等、数多くのトップアーティストのTOUR、PV、TV、LIVEのバックアップダンサー&振付を手掛ける。

AKS公式ブログ
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BASE HEADS結成10プラス1周年。

maixgulian
TDM

2010年は“BASE HEADS10周年”的なことをするのかなと思ってたんだけど?

KEITA

そうなんですよ!

でも、なかなかタイミングが合わなくて、
BASE HEADSとしての活動もできていないんです。

あと、10周年記念って皆やるから
逆に俺たちはやらないってことになりまして・・・

TDM

なんじゃそら (笑) 。

KEITA

10周年記念に、これまでの軌跡を振り返るだけじゃなくて、
俺たちは前を向いていきたいから、
10プラス1周年記念に何かをやろうかなと。

そのほうが、なんか次へ進む感じがするじゃん!
っていうこじつけです (笑) 。

TDM

なるほどね。もともと、KEITAくんがBASE HEADSを始めたの?

KEITA

自分とA-VEちゃんと、KENKENの3人で始めて、
幾多のいろんなことを乗り越え、メンバーも変わり、
10年間一度もチームを抜けなかったのは自分だけですね。

でも、自分のわがままでもめたこともありましたし、
いろいろありました。

TDM

KEITA君の中ではBASE HEADSはどういう存在?

KEITA

自分の中で初期・中期・後期で分かれていまして。


まず、初期は、結成してから
自分がMISIAのダンサーをやりだした
2000〜2003年くらいまでなんですが、
その時期は、モチベーションというか、目標も
メジャーにのし上がることがはんちゅうにもなかったですね。

とにかく、そのころMISIAダンサーズのMAKIDAI君とか、
ステさん(STEZO)とか、TAKUYA君とか、HyROSSIさんとか、
U-GEさんとか、DIGITAL JUNKEEZとか、JSBとか・・・

ああいうストリートヒーローみたいな存在になりたい!
と思っていました。

だけど、僕たちの方法論は、
当時流行していたブレイクビーツじゃなくて、
ニューヨークヒップホップ。
やりたいものの結晶が最初に強かったんです。
何のバランスも取らないで、やりたいことだけでした。

流行に反するスタイルを人は否定するし、
自分たちしか肯定しない、若さもありつつ・・・
それが初期でした。

それから、ステさんに拾われて、MISIAをやったり、
SAMさんやAYAKO TAKEUCHIさんに出会ってBoAちゃんをやったり、
WARNERさんに出会って安室ちゃんをやったり、
また違った側面のエンターテイメントに触れました。

TDM

もともとSTEZOさんきっかけだったんだね。

KEITA

はい。それまでにオーディションを受けたこともあって、
でも、全然ダメで。

そのとき、当時はREAL SHITに所属していたRYOが
まだうちのチームに入っていなかった頃、
RYOとA-VEちゃんは仲悪くて、バチバチで(笑)、
でも、一度asiaで僕とRYOが
バッタリ話さざるを得ない状況になっちゃって、

「あ、俺、知ってるよ〜。」みたいに話をし出したら、
意気投合しちゃって。
「今度何か一緒にできたらいいね〜」って感じになったんです。

REAL SHITとも仲良くはなかったんですけど、
ステさんとREAL SHITはがっちり繋がっていて、
その時期にMISIAのシングルで
BACK BLOCKS』という曲が出たんです。

初期:初めての振付はそうそうたる先輩たちに。


KEITA

それまでの音楽は、ワンループとか、
サンプリングが多かったんですが、当時のティンバランドとか、
ネプチューンズとかの楽曲のような打ち込みでした。

「こういう音楽を振付できるダンサーはいないのか?」

ということになって、BASE HEADSはクラブでそれをやっていたので、

「KEITAにやらせてみたい」

ってステさんが言ってくれたらしくて、RYOからその話をもらって、

「いや、そんなの、やります!やりますよ!」

と引き受けました。

それまで、そういう仕事を一度もしたことがなかったし、
教えたこともそんなにレッスンを受けたこともなかったので、
振付を溝の口駅の外で考えたり、
「ワンエイトっていうスタジオに来い。」って言われても
場所がわからなかったです。

TDM

レッスン通ったことがないの?

KEITA

高校生のときに、たまーにHYROSSIさんに通ったり、
ステさんは2回くらい受けたことがあります。
RAHAさんもありましたけど、
居場所が見つけられなくて
ずっと誰かのレッスンに通い続けるということはなかったですね。
ひたすらミュージックビデオを見ていただけだったので・・・。

ワンエイトに着くと、MICHIEさんに説明されて、

「メンバーが来たら振りを教えていってあげて」

って言われ、

「あ、はい。誰が来るんだろう・・・」

と、いらっしゃったのが、そうそうたるメンバーで。

ステさん、TAKUYA (SOULUSOUL)くん、
U-GEさん、HyROSSIさん、MASAKI (HIPNOTIC BOOGIE) くん・・・

俺が、ステージの上でしか見たことのないメンバーばっかりがきて、

「じゃ、はい、やって。」

と、鏡の前に立たされて、
うしろにぶわーっと皆さんがいるのを感じながら、
しかも、自分が一番年下で
「お前、誰だよ?」みたいな空気もありつつ。。。(笑)

「・・・じゃぁ、やって・・・いいっすか?」

みたいな (笑) 。それで、やってたら、

「なんか細かくね?もうやめようぜ、こういうの。」

とかって批判も浴びつつ、

「あ、じゃ、変えます・・・」みたいな (笑) 。

最初はそんな感じでしたね。
自分のテイストとしては顔の向きとか、
ピクチャーとしてしっかり見せたかったんですが、
その頃はノリ重視で、

「そういう形とかはいいからさ、グルーブだけでいいんだよ。」

と結構言われたんですが、

「いや、ここはこういう形でいきたいんです。」

と戦いながら『BACK BLOCKS』の自分のパートを創り上げました。

それから運よくMISIAのツアーが始まり、
当時、大学に行ってたんですけど、それをきっかけに
“僕は一生ダンスをやっていきたい”と決めて、大学を中退して、
そのツアーに参加しました。それが2003年くらいですね。

その直後にBoAちゃんもやったり、
チーム以外にも活動が広がっていって、
メジャーの活動に一番重きを置いた中期でした。

いろんな成功もあり、いろんな失敗もあり、
いろんなものも得たけど、いろんなものも失った、
すごく混沌とした時期を過ごしましたね。

中期:華やかに見えた孤独。迷路。


KEITA

KEITAやっぱり、よくないですけど、天狗になってしまったり、どうしても自分の創り出すものが、良くても良くなくても、周りは良いって言ってくれるし、「自分は何でもできるんじゃないか。どんな人よりも俺の振付の方が良いんじゃないか。」と思ったり。

ゲストダンサーでチヤホヤしてもらって、ギャラももらったことがないのに、もらえるのが当然のようになってきて、送り迎えも当然、「新幹線は指定席で当たり前だろ」みたいな。

そういう嫌なバイブスが自分でも出てたなって感じますし、いろんな意味でバランスを失いました。

それで、一度、たくさんの大切な友達を失いかけたことがありました。

人と話すのが億劫なほど毎日仕事が入ってきて、
ツアーを周ってる間に、
他のアーティストのツアーを全部振付けて、
テレビにも出演したり・・・。

でも、基本、自分の仲間がいるのはストリートシーンなんです。
でも、そこに目もくれる余裕もなくなっちゃって・・・。

ある日ふと思ったら、
自分が1ヵ月ほどチームと話もメールもしていなくて、
クラブにも行かなくなってしまったので、
流行っているものもわからなくなってしまってました。

当時は常にファッションも音楽も流行がリニューアルしていて、
1週間でも行かないと流行に遅れてしまう時期でした。
シェイクがきたり、ダンスもいろいろ変わっていった時期だったので、
皆が何をしゃべっているのかもわからなかったんです。

「なんだか、すごく一人ぼっちだな・・・
俺ってお金はもらえているけど何も残んなくなっちゃった。」

っていう寂しい想いもして、

「やっぱりちゃんとバランスを取らないと何にもなんないな」
とまざまざと感じた数年を経ました。

BASE HEADSも結構有名というか、
GEN、RYOを加え人気絶頂の数年間というか(笑)、

ショーで全身シルバーの衣装を着て、
イノダ (INO-D) を入れて初めて5人でやったネタがあったんですが、
あの時期は、周りからは充実しているように見えても、
自分たちとしては、「みんなの期待に応えなきゃ!」っていうような、
プレッシャーのある迷路に迷っていた頃ですね。

それが2007年くらいまでですね。

※音が出ます。
動画が表示されない場合はこちら




BASE HEADSは更新され続ける履歴書。


KEITA

中期から後期にかけて、年齢も経てきて、
中堅を通り越して、ベテラン・・・って言ったらまだまだですが、
そういう域になってきたからかもしれないんですけど、
ダンスという人前に立つことは、ユース世代というか、
若い世代のための文化という感覚があって、
そこにしがみついていた自分たちがいました。

見た目、センス、アンテナ。

そこは、誰がどうしようが、
時間の流れと共に歳を取っていくし、
見た目も大人になっていく。

アンテナも若い頃に反応していたことに反応しなくなっていく、
っていうことを受け入れいくのにすごく時間がかかりました。

「上辺だけのものは重要じゃない。
そこじゃなくて、違うところに、KEITA、進もう。」

と決心して、前に一歩踏み出すのは、
自分としてはすごく大変なことでした。

でも、踏み出さない限り、
そこにしがみついていなくてはいけなかった・・・。

KEITA僕らは流行に乗って出てきた分、圧倒的なスキルがあるチームではなかったので、 それがなくなってしまったら自分たちには何が残るんだろうと、そこはすごく怖かったですね。

それを含めた2007年くらいまででしたね。

そこから方向転換で、新天地を見つけて先に進んで、今があるという感じです。

PINO君、MASAKI君、NAZUKIとやっている ChiLLaxというパーティーがあるんですが、 まさにそれをコンセプトに ショーもDJタイムも内装も作り上げていくっていうのが 現在進行形って感じですね。

TDM

今のBASE HEADSをどういう風に捉えている?

KEITA

KEITA正直、今は自分にとっては難しい存在ですね。個人個人が今いろんなものを見て、いろんな方向に進んでいっていて、ダンスの好みも違いますし、音楽も服装も生活もまったく違う・・・

もともとそういうチームではあったんですけれども、何かがあればまとまれるんでしょうけど、何かがないとなかなかまとまることは難しいんだろうな〜と思っていました。

けど、無理にまとまる必要もないかなとも思っています。

なんだろう・・・やっぱり、BASE HEADSは僕の中で、履歴書ですね。

だから、一生消せないし、止まらないものだし。
夢の設計図というか
これからも、そういうライトに永遠に残っていくものですね。

一緒に踊らないとチームメイトじゃない!
っていう域は超えてしまったというか。
どこにいても、チームメイトのことは知ってるよって思っています。

だから、あんまり現在進行形のチームとは違うかもしれないですね。

後期:マイケルの死が与えた新天地。


TDM

一番興味があるのは、後期にあたる最近の活動なんだけど、
それから聞かせてもらっていい?

KEITA

はい。最近はいくつか自分を大きく変えた出来事があって、
1番はマイケル・ジャクソンが亡くなったことでした。

僕は、マイケル・ジャクソンをフェイバリットにしていた
ビッグサポーターではなかったんですけれども、
やっぱり亡くなったことによって、
彼を再評価するということが自分の中で起きたんです。

今までずっとフォローをしてきたわけではないから、
ファンですよ、とは言えないけれど、
改めて彼のやってきた軌跡を見てみて、彼の意思を感じました。

僕はダンサーなので、
一番ストレスが溜まるのは、勝負していないときなんです。

映画の『THIS IS IT』を見ながら、
俺はあのオーディションのステージにすら立たなかった自分に、
もう・・・今まで生きてきた中で一番辛かったです。

僕は映画館の中でアレを見ているんじゃなくて、
あそこにいるべきだったし、
オーディション情報すら知らなかったので、
そういう環境にお前がいったかというといかなかったですし、
それを現実的なものにしなかった自分は
やっぱり過ちを犯したんだなと。

大袈裟かもしれないですがダンサーとして人間として
いつ自分に最期が訪れるかわからないので、
毎回毎回が真剣勝負って思ってさえいれば、
オーディション情報はキャッチできたはずだし、
「前日に情報を見てオーストラリアから飛行機で来たんだ」
っていうインタビューもあって、
もう・・・直視できなかったですね。

そんなやつらが世界のトップにいくんだなと思うと、
僕が世界のトップに上がれてないのは、当たり前な話だなと。
そういうところでひとつやられました。

よく耳にしますが
「東京にいないとオーディション情報って回ってこない」
っていうのは僕は違うと思っていて、
その情報に敏感になろうとすればするほど、
強く思えば思うほどそんなことは口にはしなくなるだろうし、
行動すると思います。

はっきり言って情報はどこにいてもつかめるので、自分にとって
「日本にいたからマイケルのオーディションを受けられなかった」
みたいなのは、ただの言い訳だったんだなと思います。

やっぱり、
夢に描くほど努力も行動もしていなかったなと痛感しました。

それで、アメリカにいくことを決めたんです。

渡米前に揺らいだ決意。


KEITA

そこで障害になったのは、現実的な問題でした。

まず、お金をどうするのか。
まず、日本で働いているところをやめなくてはいけないし、
貯えもあるかといえば、ハッキリ言ってギリギリ(笑)。

こんなことを考えるのはおかしいですけど、
アメリカに行ったら、そこで結果を残して帰ってこないと、
割とキャリアもある自分が、
斜めから見てるやつらからの
「KEITA、ダメだったみたいだよ〜やっぱ遅かったんだよ〜」
っていう声が怖かったりもしました。

日本でやっていれば、
確実にレッスンもショーもメジャーのお仕事もあるし、
それを着実にこなしていくのもひとつだなと思いました。

でも、やっぱり、自分の心のどこかで、例えば
「明日君に死が訪れたときに、
あのときに挑戦しないと決めた選択肢は、
正解だった?間違いだった?」
って言われたら、
間違いだったって絶対に後悔するって思いました。

KEITAだったら、もうこれは挑戦しなかったら、もう僕にあとがないなと思ったし、やっぱりもっとダンスうまくなりたかったし、もっとうまい人たちと同じ空間にいたいと思いました。

そう決めて、レッスンをやめるにあたって、スタジオの人たちには本当にお世話になっていたんですけど、本当に申し訳ないと思いつつ、「軽んじているわけではなくて、こういう気持ちで、自分のわがままで申し訳ないけれども、挑戦させて欲しい。」と説得というか、許しを請いにいって、わかって頂きました。

生徒の子たちも、ものすごく応援してくれて、最後に色紙とか大きな布にいっぱい書いてくれて。

よし、アメリカにいくぞ!って決心したまさにそのとき、「DREAMS COME TRUE (以下、ドリカム)のツアーを今年やるよ」
っていう話が来たんです。

人生は二択だぞ。


KEITA

KEITA僕にとっての大きな出来事は、マイケルとドリカムなんですが、ドリカムって面白い人たちで、僕たちにマイクや、楽器や、旗をもたせてパフォーマンスしてほしいと言ったりするんです。

最初はやっぱりわからなかったですね。

「うわー。なんか恥ずかしいな。僕はかっこいいダンスだけやってれば十分なのに、マイクなんて持ちたくないな。」
って思いました。

過去、紅白歌合戦のときにマイクをもつ演出があって、
仲間のダンサーに
「よくもあんなアイドルみたいなマネ、よくできるな。」
って相当言われて「そうだよな・・・」って僕たちは傷つきました。

ダンサーはダンスを踊るべきだ。
それは間違いではない。

ただ、心のどこかでドリカムから何か感じているものがあったから、
僕たちはそれを跳ね除けられたし、
それが何なんだろう、何なんだろう・・・
ってずっと思っていました。

そのときに、『THIS IS IT』の中で、世界最高峰のダンサーたちが
マイクを握っていたんです、旗を振っていたんです。
ダンス以外のパフォーマンスをしていたんです。

それを見て、

「あれ!?ドリカムが求めていたことは、これだ!そういえば、マイケルのステージの舞台監督のケニー・オルテガはドリカムのツアーもやっていた!そうだ!偉大なるダンサー、ジェイミー・キングはドリカムのバックアップもしていた!」

そういういろんなことがフィットしてきたんです。

ドリカムがやっていたフィールドは、
僕らが一番遠ざけてしまいがちなポップスで、
でも、やっていたことはマイケルと同じことだったんだ!
ってことに気づいたんです。

だからこそ、アメリカ行きとツアーの話が同時期に来たので、
とっても悩みました。

アメリカに行ってすべてを捨てて勝負したいという気持ちと、
世界で一番心から愛するアーティストから
「一緒にやりたいんだ」って言ってもらえる気持ちとで
すごく葛藤して・・・。

でも、そこで、両方にうそはつけない。

いくつか選択肢が浮かんできて、
アメリカに行って何にも仕事がなかったら、
戻ってきてドリカムをやればいいんじゃないのかな・・・
でも、なんかそれでは心が晴れなくて・・・。

人生は二択だぞ。

もし、アメリカに行ってすぐに
ジャネット・ジャクソンのワールドツアーのブッキングが決まって、
ドリカムのツアーとスケジュールもかぶっていたら、
自分はどっちを取るのか。

もし、ジャネットを取るならアメリカで勝負をしたいんだ。

もし、ドリカムを取るのであれば、
彼らと一緒に命をかけて
日本のエンターテイメントを改革したいんだ。

すごく悩んだ末に、
「俺はもっとビッグマンになって、ドリカムと一緒に仕事がしたいんだ。
だから、今、帰国前日にジャネット・ジャクソンから
オファーが来ても俺は断る。」という決意をして、
半年間だけ渡米したんです。

まぁ、そこでいろいろありつつ、
それを話すとものすごく長いんですけど、
いろんなことを経ました。

簡単に言ってしまっていいのかわからないんですけど、
ダンスを含めたエンターテイメントというものを、
今までアメリカ人のマネをしてきてしまった分、
これはアメリカにないものを見せたいですね。

「あ〜日本のエンターテイメントってすごいな!マネしたいな!」
って思われるようなものをして、アメリカや海外に恩返したいです。

そんなことをしたいので、だから、いろんなことをやってます。

TDM

いろいろやってるっていうのは例えば?

KEITA

まず、ひとつは、僕の考えですが、
ダンスを踊る上で最も重要なことは
「音を体現すること」だと思うんです。

音楽を感じたあとにダンスが来るというか。
音楽がないとダンスではなくなってしまうので、
いい音楽をいいと感じられるようなオープンな心というか。

語弊があるかもしれませんが、
プッシュされている音楽だけがいいわけではなくて、
もちろんいい音楽もあるんですけど、
そこだけじゃなくて、例えみんなが否定しても
「私はこの音楽もいいと思うんだ〜」と、
自分で見極められるのが理想ですね。

人からおいしいって言われるご飯だけじゃなくて、
“僕はこのご飯がすごくおいしいと思いますよ”
って言えるような価値観・・・
それが、エンターテイメントやダンスには
不可欠なんじゃないかなと思います。

ちょっと変な例えかもしれないですが!(笑)。

Kento Moriへのエール。自分が示したい道しるべ。


TDM

KEITA君の会話は、ブログを読んでても思うんだけど、
わかりやすいね。エゴもあるけど、理解もあるし、すごいと思う。

KEITA

いやー、エゴばっかりですよ。いつも思います。

あ、トウキョウダンスマガジンでKentoをインタビューしてましたよね。

彼とは仲良くしてるんですけど、
彼の何がすごいのかなっていろんな人が思うと思うんですが、
もちろんたくさんあるんですが
その中で一回「これはすごい!」って思う瞬間があったんです。

それは、ロサンゼルスの黒人ばかりが集まる暗いところで、
車から音楽がかかってて、悪そうな10代後半から20代前半の
踊りばっかりやってるやつらが集まってる
荒野の空間があったんですけど、そこにKentoと行ったんです。

KEITAマイケル・ジャクソンって黒人にとって、 一番自分たちのスーパースターになってくれた存在で、亡くなって、あんなにフォーカスされて、なおかつ自分たちの黒人のシンボルであるプライドみたいなものも<あるだろうに、黒人たちがKentoのところに集まってきて、

「よう!Kento、マイケルやってくれ!やってくれ!」って言ってきたんです。

例えば、逆に置き換えたら日本人の坂本九を、日本のヤンキーがたむろするところで、黒人が来て「よう!ボブ、坂本九やってくれよ!」って言ってるようなもので、それで、実際にKentoが踊ったら、みんな感動していた、そんな瞬間があったんです。

それを日本人が成し得ていることがすごいなと。

もちろん、ダンスのスキルとしては世界にたくさん凄い人はいるし、
歴史やシーンを守ってきた
ダンサーたちのプライドもあると思うけれども、
コレを成し得るのは、世界でこの人、ただ一人だなと感じました。

そういう人を斜めから見るのではなく、一人のパフォーマー、
アーティストとして、応援したいなって思いました。
こっちから見たらイチローや松井のように
大リーガーみたいなものですからね。
日本の国旗を背負って、
アメリカ人と混ざってやってくれている・・・。

カメラが回ると彼はいつも
「レペゼン東京、レペゼン名古屋、レペゼンジャパン!」
って言うんですよ。いつ見ても刺激になります。
応援したいって思いますね。

TDM

私もKentoくんはピュアだなって感じたな。

ピュアがもつ影響力ってすごい。

私の役割的には、ダンサーであることはベースなんだけれども、
それは生きるスタンスで、
私の中でのミッションはつなげる作業。
そのツールがダンス。

ダンサー以外の人ともたくさん話してきたけど、
一番不器用でピュアなのはダンサーだな
って思う瞬間は多いんだよね。

その強さが強い人が、影響力を与えられて、
人が知識や技術を足していく、
その光になっていく存在になる可能性が高い。
バランスをとる道具にダンスがあって、
それを導くのがダンサーだったらいいなって思うんだよね。

KEITA

すごくよくわかります。

TDM

そういう影響力が増えたらいいな。
やっぱりダンスは楽しいんだよ。

ダンサーと過ごしたあとに、
振りを教えてくれたからありがとう、じゃなくて、
楽しく時間を過ごせたからありがとう、っていう気持ちに変わる。

今日の話を聞いて思ったすごいことは、突き詰めること。
ギリギリまでちゃんと向き合うこと。

KEITA君って言葉にリアリティがあるのは、
自分の悔しい、恥ずかしい体験をすごくさらけ出すじゃない?
そこがすごくエネルギーがある。

等身大のモデルがKEITA君だから、すごく
「あ、あんなかっこいいことをやってる人がこんなことを考えてるんだ」
って、いい意味で模倣しやすいと思う。

アメリカに行った理由とか、何を感じたか、
今どういうことを一生懸命にやっているのかにすごく興味があって、
今回取材させて欲しいと思ったんだよね。

いろんなダンサーがいる中で
ダンスだけの表現じゃない表現ができるダンサーだなって感じる。

KEITA

でも、すごい先輩たちはいっぱいいますからね。
すごいテクニックを持ってる。

意外とロサンゼルスってオールドスクールが盛んなんですよ。

レッスンはミスター・ウィーグルス()とか、ポッピン・ピート()とか、ブガルー・サム()とかを結構受けてました。

Mr.Wiggles(ミスター・ウィーグルス):
ポッピンのオリジネーターの一人。サウスブロンクスで生まれ育ち、ヒップホップ創成期とも言われる1970〜1980年代にダンサーとして活動、世界を舞台に活躍している。Electric Boogaloos、Rock Steady Crew、Zulu Nation所属。映画「Beat Street」「Wild Style」などに出演。

Timothy "Poppin' Pete" Solomon(ティモシー“ポッピンピート”ソロモン)、Boogaloo Sam(ブガルー・サム):
カルフォルニアのフレスノのいう小さな町で、ある兄弟たちが新しい踊りを創りあげた。それがエレクトリックブギー、またはポッピンと呼ばれるダンス。その兄弟たちとは、映画「BREAK DANCE」に出演し、初期のロッカーズのメンバーでもあったティモシー“ポッピンピート”ソロモンの兄弟たち。ちなみにピートやウィーグルスと同じエレクトリックブガルーズのメンバーでもあるブガルーサムが「ブガルー」や「ブーガルー」を考案。メンバーは、Skeeter Rabit(スキーターラビット)、Pop'N'Taco(ポッピンタコ)Suga pop(シュガー・ポップ)、jazzy-j(ジャジー・ジェイ)、Shoon boog(ショーン・ブーグ、ピートの息子) らがいる。


先人たちは、やっぱりいろいろ築き上げてきたし、
それに関する知識もテクニックもある。
それが正当に評価されてるのかと見てみると、
正当に評価されてないなと感じたりもして。

オールドスクールを好きな人は、「最高だよ!」って言うけど、
ダンスをやっていても知らない人もいて、
悲しいなって単純に思いましたね。

エンターテイメントとして見たら、
歌や楽器やたくさんのものがある中で、
まだダンスは大きい枠でもないのに。

日本も同じようなことがあるんだろうし、
僕はこうやって脈々と受け継がれてきた、
RSC、ROOTS、オヤジェン、RAMPAGE、JSB、Mo’Paradiseなど、
たくさんの先輩方がいて・・・

向こうに行って、そういう先輩たちから受け継いできた
いろんなものを自分なりに消化して、歴史というか、
道しるべをちゃんと残していったほうがいいなと思いましたね。
もう、そういうのは消えちゃいますから。

今のロサンゼルスのダンススタジオに行って
ポッピン・ピートの名前を出してもみんな知らないし、
教えてる人たちも、もしかしたら知らないんじゃないかな。。。

それもまぁ、新しく前に進んでいってるって意味では
いいのかもしれないんですけど、
もし自分に本当に好きな人ができたら、
その人のことをすごく知りたくなると思うんですよ。

その人は昔どうだったのか、
どこで産まれて、どんな部活をやってて・・・

ダンスも一緒だと思うんですよ。
ダンスも好きになったら、
やっぱりいろんなものを知って、
君ははじめて本物のダンサーになるよっていう、
やっと個性が出てくるんじゃないのかな
っていうのが、自分の考えなんで。

自分の年齢も上になってきたからかもしれないですけど、
そういう歴史っていうのをみんなにもちゃんと知って欲しいし、
僕も知りたいなって思います。

PINOの偉大さ。歯がゆい現実。


TDM

ダンサーの成功って本当に難しいんだけど、
すごいダンサーって言うのはKEITA君からするとどういうダンサー?

KEITA

KEITA僕が、この間、ガツン!と来たのは、もうめちゃめちゃ身近だし、もうちょっとたくさんいると思うんですけど、 PINO君って、やっぱこの人すごいな!って思うんですよ。

それはなぜかと言うと、ネジがないんですよね。留め金がないっていうか。

だから、あっけらかんとすごいことを言う。
「あ、俺、こんなこと言えないわ」っていうようなことを。

僕がアメリカから帰ってきて、

「やりたいことはこんなことだ、
だから、今の自分のメインの活動拠点は
クラブからまた別の場所に移してやりたいんだ」
っていう話をしてたときに、

「KEITA、お前、それはすごいいいことだよ。
めちゃくちゃ前に進んで、最高じゃん。
俺はさ、また別なんだけど、
どんなにクオリティが下がったとしても、
誘われたショウタイムは絶対断らない。
何で断らないかと言うと、そこで一人でも二人でも
“見たい”って言ってくれる人がいれば、俺はそこで踊る。
それに、俺のすべてがある。」

みたいなことを言ったんですよね。

それは、ちょっと俺は言えなかったな〜と思って。

もちろんクオリティが落ちることを肯定している発言ではないですよ。

しかも、それを口だけじゃなくて、PINO君は普通にやってるし。
あんなに、ポジティブな人っていないから。
俺は、この人偉大だなって思いますね。

そう言われて、ガツン!と来たけど、
気づいてみれば、彼は背中でそれを示していたわけだから。

口で言う人は多いですけどね。
なかなか実践している人はいないですね。
そういう意味では、やっぱり、
あのモジャモジャはすげぇなって思いますね(笑)。

僕もよくPINO君のレッスンを受けにいくんですけど、
世界の頂点を取った人のレッスンは
長蛇の列で予約しないと受けられない
ってのが俺は普通だと思います。
実際海外はそうだったりしますし

そうじゃない現状は
なんで?なんでなんだ?って。
何かの歯車が違うんじゃないかな?って思うことがあったり。
さっきのポッピン・ピートの話とすごく混ざるんですけど。

レッスンって、楽しんで帰って、
来週も楽しみだね〜ってものもいいだろうし、
たくさん斬新な振りをやって「あー楽しい!」でもいいだろうし、
何も否定できないですけど・・・何でなんだろうなっていう。

ま、みんなが思ってることだとは思うんですけど。
そんな苦しみも、ダンサーは抱えるんだろうなと。

TDM

KEITA君がドリカムとセッションしてることって、
ダンサーであるKEITA君だからこそできたことだと思うし、
いろんなダンサーの経かたをしていくわけで、
向こうもすべてに関わってるプロのメンバーが集まってると思う。

マイケルもそうだよね。
すべてのスタッフがマイケルと関われて嬉しいって思ってる。
それぐらい、お金を払って関われるものでもないし、
必要なければ関わってる意味がないっていう
シビアなところもあるし。

それでもって、いるメンバーは
すべて相乗しなくてはいけない環境でもある。
すごくいろんな必要要素があって、その中で、
ダンサーがどこまでできるかとなったときに、
いわゆるリミックスをやってみるとか、
ほかの楽しみ方を教えるとか、
そこからの可能性にかかってる。
みんながそういう意識でやっていける何かで、多くの人が動ける。

きっと、動くときには自然にお金が発生してるんだろうし、
それが、誰かの中でも勝算があると思って
臨んでもらえていることであって欲しいなと。

それが、きっとダンサーに返って来る。
それをどんな形であっても形にしていきたいなって想いが
すごくあるんだけど。

この前もロサンゼルスのダンサーで
Sheryl Murakamiにインタビューしたんだけど、
お金の面で、まだ、ダンサーの影響力は弱いらしくて、
ダンサーの地位が低いとか評価が低いとか、
いろんな意見はわかるんだけど、私の中では、
「まだ、それだけ影響を与えられてないんだ。」っていう、
締め付けられる気持ちになって・・・。

ダンサーにして欲しい、ではなくて、
ダンサーじゃないとできないっていう感情になって、
影響を与えて誰かを動かすこと。

そのためには、じゃあ何をしていけばいいかってときに、
ただ踊っているだけでは伝わらないトライアルを、
いろんな形でKEITA君はしてくれているのかなって感じた。

それが、言い方を変えると、若い子たちの世代にも、
その感情が受け継がれていったら、
ダンサーのちゃんとした影響力が大きくなるんじゃないかなって。

でもね、昔からの感覚で、変かもしれないんだけど、
ダンサーに勝算はあると思うんだ。

KEITA

それは、何ゆえ?

TDM

ダンスのチームのショウを創る過程って、
尺を考える、メンツ考える、構成考える、曲を考える
っていうのを、毎回やってるじゃん。

特に経験を積めば、
大きいステージの場合はどうするかっていう風に、
いまや10代から日常でずっとやってる。

ファッションのプロがファッションをやればいい、もちろんそう。
楽器のプロが楽器をやればいい。
でも、ライブの演出を考えるのって、
一番ダンサーが頑張ってるんじゃないかなって思うんだよね。

今後は、ライブでダンサーがすごく活きてくる、そうであって欲しいっていう気持ちがある。

あとは何より、ダンサーってすごくエネルギーがあるんだよね。

KEITA

それはすごくわかります。

TDM

体を張ったエネルギーだから、躍動感もあるし、
人を動かす、感動させられる可能性が高い。

あとは、同志たちが、同志たちをどう動かせるか、
どういう環境だと動きやすいかってことをわかっていくと、
仕組みになりやすいと思う。

特に、何もないとき、お金がなくても、ダンサーは形になる。
なぜなら、もともとお金で動いていないから。
だから、エネルギーがある。

形にしたときに、儲けるっていうよりも、
ダンサーたちにそのエネルギーが
正当に還元される仕組みを作っていきたいよね。

心と体のトレーニング@ロサンゼルス


TDM

ロサンゼルスと、ニューヨークとアトランタで、
どういう旅をしてきたの?

KEITA

ロサンゼルスは、完全にトレーニングです。
あとは、オーディションも受けましたね。
朝9時くらいに起きて、10時頃から2時間くらい
ハリウッド近郊のアクロバットのレッスンに通ってました。

やっぱり、ライブのときにアクロバットができたらな〜
って何年も思っていたので、
思い切ってそこに通って
GENと一緒に小学生に混じりながらレッスンを受けたんです。

昼の12時前後に終わったら昼食をとって、
それから1日2〜3レッスン受けて、
それからジムに行ってトレーニング、
終了するのが24時くらいっていう毎日でした。

オーディションは3つくらい受けたんですが、
ま〜、みんな僕のことなんか見てくれないですね (笑) 。
すごく悔しい思いもしたりしましたけど、
いろんな意味で体も心もトレーニングできました。

こんなこと言うの恥ずかしいですが
もう、32歳なのに、悔しいっていう感情ではじめて泣いて、
こんなんで涙って出るんだなって思うくらい、悔しかったですね。

それに、情けないというか。
自分でもそんな自分にビックリしました。

自分よりもひと回りもふた回りも若い子たちのすごさを、
まざまざと見せ付けられました。

そういう子たちの中には、
日本で自分のレッスンを受けてくれたことのある子もいて、

「自分はなんて思われてるんだろう・・・
KEITAさん、アメリカに来たけどたいしたことないじゃん、
とかって言われんのかな〜」
とかって滅茶苦茶ネガティブに考えたり。

そんなようなことまで考えて、
でも、しょうがないなって思いつつ、
行かないと話しにならないので行きましたけど、
オーディションは綺麗に全滅しましたね(笑)。

でも、単純にチャレンジャーとして挑戦できることは、
心から嬉しかったし楽しかったです。

愛する音楽を産出するアトランタに残る黒人差別。


KEITA

僕はもともとアトランタのカルチャーが好きなんです。

良くないことですが、黒人差別が今もすごく激しくて、
マーチン・ルーサー・キング牧師が生まれた場所でもあるし、
ダンスというよりはカルチャーとしてラブがあります。

今もわからないだけで、
ニューヨークとロサンゼルスは
それほど明確ではないですが、
アトランタでは、
白人と黒人がはっきり分かれてるんです。

黒人地区と白人地区が明確に分かれていて、
一番違うなって思ったのは食事なんですよ。
こんなにも違うのかってくらい。

白人のところには、食べ物はなんでもあります。
でも、黒人地区って言うのは、
本当にフライドしたものしかなくて、
新鮮な野菜なんてあんまり食べないんです。

見渡すと車椅子の人とか、体の不自由な人が多くて、
なぜかと聞いたら、どこまで本当なのかわからないんですけど、
アメリカのソーシャルセキュリティナンバーっていうのを
もってない人たちが多いと。

そうなると、病院にもいけないし、
学校にもいけないし、車も買えないし、
アパートにも住むことができない。
なので、プロジェクトっていう
低賃金所得の人たち専用の住まいに住むことになって、
しかも、この間は犯罪を理由に
1万人くらいのプロジェクトが壊されたんです。
壊れたガソリンスタンドに寝泊りしてて、まさにゲットーでした。

そこには、片手のない人とか、両足がなくて車椅子の人が多くて、

「あれはなんでだ?治療を受けられないからか?」

って聞いたら、

「いや、それもそうなんだけど、
とにかく食事のせいで糖尿病になる率が異常に高い。
だから、治療も受けられずに
両足とか手を最後の最後に切らなくちゃいけない。」

そういうのを見せられて、
でも、今日本のクラブでかかってたり、
日本のダンサーたちが踊ってるアトランタのサウンドは、
その場所で産まれてるんですよね。

アトランタにもダンススタジオがあって、遊びに行ったんですけど、

「お前はチャイニーズか?コリアンか?」

「いや、ジャパニーズだ。東京から来た。」って言うと

「ジャパンっていうのはどこにあるんだ?」

と、そんな時代錯誤のような
閉鎖されたような空間の音楽が、海を飛び越えて、
こんなにもダンスフロアを
ロックしてるなんていうことは、すごいことだなって・・・。
やっぱアトランタに行かないと見えなかったことですね。

生活から生み出されるアートというか
地元の音楽を愛することやレペゼンすることなど、
いろんな意味でリアルな場所というのは
ニューヨークやロサンゼルスの大都会には
少なくなってしまった世界で、
アトランタはそういう意味ではよかったですね。面白かったです。

矛盾した“ショー”と“ビジネス”が存在し得るアメリカ。


KEITA

ニューヨークは僕の初恋のような土地なので、
ダンスのシーンがロサンゼルスに移ろうが何をしようが、
やっぱり、その、恋焦がれるところに帰ってきたな
っていう気持ちがあって、チルした感じになりましたね。

ニューヨークは、
ビジネスとしてのダンスがあまり成立していなかったので、
アンダーグラウンドなストリートダンサーたちが
今でもやんちゃに踊ってるっていうような感じでした。
それもそれで面白かったですね。なかなかない感じで。

いろんな土地でいろんな考え方があるんだなと。

TDM

そう考えると日本のダンスシーンについてはどう感じる?

KEITA

言ってみれば、まだアメリカとかに比べると、健全かなって。

まだクラブとも離れきってなくて、アメリカはもう、
インダストリーは、インダストリーで
ストリートシーンとは完全に離れてますから。

ま、難しいですけどね。
クラブの文化自体、アメリカと違うので。
しっかりお金をもった人がお金を使うっていうのが多いので。

クラブやストリートシーンは文化を創造するクリエイティブな空間だと
思ってたんですけど、ちょっと変わってきたんだろうなと。
ビジネスになってしまうと、やっぱり集客の面、お金の面に
どうしても目がいくんだろうなと。

ショービジネスというのは、
矛盾した言葉が二つくっついているじゃないですか。
“ショー”と“ビジネス”の
バランスの難しさというのは、
どこの国も、あるんだろうなと思いつつ。
ま、でも、とやかく言うような問題じゃないとも思いますが。

TDM

今の拠点は?

KEITA

僕の拠点は日本です。

でも、アメリカのいいところは、僕のことを誰も知らないということ。
だから、いろんな恥ずかしいことができるというか、
いろんなヘマもできるし、だから、挑戦もできるというか。

いろんな人のレッスンに通っていたいし、
日本だとなかなか通いづらかったりするんですけど、
それがすごく楽にできるかな、っていうのが楽しいです。

いつまでたっても、10代そこそこの気分でいれますからね(笑)。

「僕たちの気持ちはもう完全にもっていかれたんです。」


maixgulian
TDM

ドリカムのツアーはKEITA君の中での挑戦なんだね。

KEITA

KEITAそうですね、第一歩の挑戦で、それから、既に第2歩、第3歩まであって、本当は去年から企画していて実現できなかった計画があるんです。話すと深い話なのですが・・・

ここで詳しくお話しすることはできませんがドリカムという本当に素晴らしくポジティブなアーティストと活動を共にしていくうちにダンスのもっている力というものをもっと違った形で使うことはできないだろうかと考えました。

本当に色々なことがあり説明するのが難しいのですが・・・

やっぱり「人の生と死」ってとても大きなテーマじゃないですか。
そして、その生の象徴って子どもじゃないかって思うんです。

あるとき、INO-Dから病院で
クリスマスを過ごす子どもの話を聞いたんですね。

「がんセンターの小児科病棟でクリスマスには
いつも催し物があるんだけど、
クラッシックのコンサートとかをやってくれる。
だけど、いまいち、こう、なんか盛り上がりきらない。
だから、ダンスで何かできないかな?」

「俺らが笑顔で何かできるんだったらいこうよ!」と、
がんセンターと話までついていたんですが、
ちょうどインフルエンザが大流行して、実行できなかったんです。

写真を見せてもらったんですけど、3歳くらいで、歩けなくて、
おいしいものをおいしいとも感じられないくらい弱っている子に、
水風船を渡すだけでも本当に喜ぶんですよね。

だから、「今年こそはいく!」と言って、
2010年12月も、また全国5箇所でツアーがあるので、
がんセンターに協力してくれるところを募って、
そこに僕とSHIGE君とイノダだけでいくよりも、
さっき話していた、ダンサーには有り余るパワーがあるから、
全国にたくさんいるダンサーたちとサンタの格好をして、
子どもたちと一緒に手拍子をするだけでもいいから、
そのパワーを届けたいなと。

ドリカムのツアーの最中にやるため、
ドリカムという看板も背負っていくから、
それで、ダンサーをみんな集めて、
今年は僕たちが旗をもっていくけど、

来年からは、12月はダンサーたちが
「病院周りで忙しい・・・
ショウタイムなんて出れないよ!
特番なんて出れない出れない!」
ってなるくらい、
孤児院や病院に勇気を与えにいくような、
そういう職業はダンサーだよな!
っていう夢をみんなで実現できたらいいよね、
なんてことを考えているんです。

その走りとして2010年12月は全国5箇所で
そういうことができたらいいなと。

ま、コレもどこまでできるかわからないんですけどね。
また新たな挑戦として。

ダンスのかっこいい側面とはまた違うかもしれないんですけど、
ポジティブなエネルギーっていう意味では
歌手にも負けてないなと。
そんな、お兄ちゃんお姉ちゃんの笑顔を
振りまいていけたらなって思ってるんですよね。

そして実際に年末に病院に行ったわけですが、
思っていた以上に色々な問題があり
許可が下りたのは札幌と東京の2ヶ所でした。

子どもたちや、その親御さんたち
もちろん大人の患者さんも大勢いました。

ダンスを踊り、歌を歌い、
一緒に写真を撮ったりプレゼント交換をしたり…

いろんなことをしてみたんですが、
こんな自分たちの行動を
本当に心から喜んでくれていて
振付を覚えて一緒に踊ってくれたり、
歌詞カードを見ながら一緒に歌ったり…

僕たちはその人たちを目の前にして言葉が出ませんでした…
胸がいっぱい過ぎて
どう理解していいのか良くわからなかったんです。

そして後日、病院の看護師さんからメールが来ました。

紅白歌合戦で踊る自分たちを見た子どもたちが
「トナカイのおにーちゃんたちがTVに出てるよ!!」
とすごく嬉しそうに喜んでいました。
子供たちに素敵な夢をありがとうございました。

って内容でした。

僕らはパワーをあげるつもりで行ったのに、
実際パワーをもらったのは僕らの方だったのかもしれませんね。

「気持ちだけはフラットに、ピュアにいけたら。」


TDM

エンターテイナーって生かされていて、
踊ること、歌うこと、演奏すること、
具体的に何を助けているのかって心だよね。
精神のバランスに対して影響力を与えることしかできなくて、
だから、必要とされるところもあればないところもある。
日常の消耗品でもないし。すごく難しいところ。

でも、義務教育にダンスが入って、
ダンスと接する機会が増えて、必要とされていくから、
いろんなところにエネルギーを飛ばしにいけたらいいよね。

どういう意思で踊っているか、何を目標として、目的が的確で、
形にしていってくれていることは、すごく勝算に繋がってる。
勝ち負けが何かはわからないけど、
それが意味のある人生だなって。

KEITA

KEITAでも、まだ、今の段階では、きれいごとって言われても、理想って言われてもしょうがないなと。こういうことをやると、売名行為って言われることもあるかもしれないんですよね。

自分たちもドリカムという名前を背負っていくので、そういうリスクはあると思います。

本当に、間違いないようにいくことが本当に重要で、だから、本当は別にブログで宣伝なんてしなくていいし、それでも、このいいムーブメントができたとしたら大きくしていきたいと思うんです。

大きくするには宣伝は必要なことで、
それを可能にする資金調達もしなくてはいけない。
無償でやることは1〜2年はできても、
そこからは続けられなくなってしまうので。

そういう難しいところはあると思うんですけど、
ただ、気持ちだけはフラットに、ピュアにいけたら、
まぁ、大体いいんじゃないのかなって思います。

TDM

売名行為かどうかの伝わり方をするかは、
受け取る人によると思うけど、そこまでちゃんと形にする前に
口で言えてる、っていうところまでいかないと、形にもならないから。

気をつけなきゃいけない、
誤解されないような行為はすごく大事だと思う。
責任を感じるじゃん、やっぱり。

KEITA

でも、そんなようなことをしたいなって思うと、
なかなかいつもクラブでやってるようなショウタイムに
時間を注ぐような余裕がなくなってきて、
「またみんなと距離が離れてきたのかなー」って
自分の中でストレスが溜まったりいろいろあるんですけど。

「最近KEITAクラブにいねーよなー。忙しいらしいしぜ。」
って結構言われたりするし・・・。

僕たち、CDを作ってもらったんです。

売らないといけないので、毎回毎回CDを売って、
握手会もやったときに、
SHIGE君はクラブに出演があったんで参加できなくて、
会社の人からは
「3人で握手会やるって言ったじゃん」って感じで、
「でも、SHIGE君には別のことがあって、僕たち2人で頑張るんで、
どうか行かせてあげてください。」みたいなことがあったり。

もちろん、ストリートの仲間へのリスペクトもいっぱいあるし・・・。
そんなバランスをとりつつ。

ダンスの尊さが築いた関係。


KEITA

KEITA最初はビックリするくらい気持ちが伝わらないというか会社の人とうまくコミュニケーションが取れなくて、すれ違うことが多かったです。これは自分たちに問題もあるんですが…

何かを提案すると、

「じゃ、方法はどうすんの?ここの勝算は?ここでどれくらいの売り上げが出るか計算して、企画書で出して。」って言われて、

自分たち的にはすごく喜んでもらえる提案だと思っていたのに、
すごく現実的な回答というか…

でも、自分たちのやりたいことを実現するために
本気で考えてくれていたからこそだとは思うんですが
そのときの自分にはまだ理解できず…

「僕らもそんなことやったことないですけど、
できる範囲でやります。」って、アマチュアな企画書を出したり。

一度、

「各地のオーディションを受けてくれたダンサーたちに、
自分たちの作ったTシャツをプレゼントしたい」

って言ったら、

「売り物だから、売って」って言われて、

「いや、でも、せっかくオーディションを受けてくれた子たちに買えなんて言えないので、僕たちが自腹で買います。」って言ってたんです。

でも、だんだん日が経つにつれて、
スタッフの方々ともコミュニケーションが
スムーズになって気持ちも伝わりはじめて、

「こんなにもダンサーが踊ってる姿が
尊いものだとは思わなかった。」って。

実際にやったのは、お金になってるわけではないし、
お客さんが待ってる場所に、ぶわーっと出てって踊りだす
ゲリラ的なものなんですけど、
お客さんが集まってくれるときもあれば、
パラパラとしかいないときもあって。

「こんな中でも、モチベーションを崩さず
あんなに一生懸命踊ってくれるんだ。
そんな姿は応援したくなる。」っていう風に伝わってくれて、
会社も今すごく前向きになってくれて、本人たちにも伝わりました。

本当は、ゲリラダンスという形から
ステージ上の転換中のパフォーマンスというところまで
スケールアップするという予想以上の展開がありました。
ダンサーたちをステージに上げて
実際のライブに組み込みたかったんです。

ただ、ステージに上げるためには最初の企画の段階から入って、
演出から予算からフィックスした状態だとできるんですけど、
僕たちにそこまでの力がなかったので、できませんでした。

でも、ドリカム本人の口から

「次のライブでは、各地のダンサーとやりたい。
いっぱいのダンサーと踊ろう!」

って言ってくれたんですよね。

これは本当にすごいことだと思います。
だってダンサーが自分たちのパフォーマンスで
トップアーティストの心を動かして
道を切り開いたわけですから!

そんなダンサーたちも、
そこに目を向けてくれるドリカムにも
すごく感動したのを今でも覚えています。

そしてそれを影から必死で支えてくださっている
会社のスタッフの皆さんにも本当に感謝しています。

僕たちが踊るステージがあるのは
何ヶ月も不眠不休で作ってくださっている
スタッフさんあってですからね。
今はそんな協力や後押しも少しずつ得られてきました。
だから、絶対次は実現するし、
もしかしたら、多くのダンサーたちに
夢をあげられるのかなって思うと、
一歩前進したのかなって思いますね。

TDM

いやいや、大きい一歩だよ。
それに、たまたまとはいえ、ドリカムのダンサーになり、
いまやクルーの一員として影響を与えているのはすごいね。

KEITA

いいえ、ずっと頂いてばっかりですね。
僕らも彼らから多くのものを教えられて、鍛えられましたからね。

美和さんと正さんの、
広い意味でパフォーマーとしての、真髄というか。

簡単にパッションって言いがちですけど、
本当のパッションってこういうことなんだなって。

そんなことを目の前で実際に目にしてきました。

自分たちを待っていてくれるファンがいるんだったら、
そこにすべてを捧げるのって、簡単にはできないけど・・・

載せられないことが多いので、ちょっと伝わり辛いかもしれないけど

それを僕たちは運よく勉強させてもらって・・・

それをまた、彼女たちは歌にするんですよね。

だからドリカムの音楽はとてもリアルで心に届きます。

もしかして、僕の恥ずかしいところをさらけ出すっていうのは、
彼らに教えてもらったことかもしれないです。

そうじゃないとうそになっちゃう。
うそは人の心を動かせない。
彼らが人の心を動かせるのは、うそがないところが
一番大きいんじゃないかなと。
だから、そこをすごく鍛えられました。

リハーサル中ダンスをコレオグラフして、毎回跳ね返されるのも、
「いや、それはうそだろ。お前のピュアの部分じゃないでしょ。」
っていう意味だからだと思いますし。
同じことをミュージシャンにも求めていると思います。

でも、それは、ストリートで考えてもまったく同じことだなって。
ピュアに踊ってる子どもたちの踊りで
感動するのもそこじゃないですか。
だから、原点だなって。

そんなことを教わってるので、
別に僕たちが彼らを動かしたわけではなくて、
その多くの仲間たちと培ってきた経験で、
何か彼らにノックができたのかなって思いますけど。

「踏みとどまらないで前に進もうよ。」 


KEITA

でも、本当にこの前期・中期・後期で自分がすごく変わったんですよね。いろんなことがあって。

TDM

直接何が変えた?って聞かれたら、何になる?

KEITA

ダンスとは直接関係ないかもしれないですけど、
人が、生きてることっていうか、
死ぬことっていうか・・・
それが一番大きいですね。

さっきも言いましたけど、自分に置き換えて、
「もし、明日死んだら、お前はどう思う?」
って選択を迫ったときに、
どうせ死ぬんだったらチャレンジをするわけで・・・

でも、それは起こりえること。
だから、踏みとどまらないで前に進もうよ、
近くで人との別れも見てきたので、
現状維持をしないように!
っていうのが自分を変えた理由かもしれないですね。

でも、ま、よく甘んじたりもするんですけど(笑)。
なるべく、辛くても、一歩前には進むようにします。

でも、本当にいい出会いが、そうさせてくれました。

TDM

いい転機があったんだね。

KEITA

KEITAそうですね・・・でも、とにもかくにもSTEZOさんですね。

僕のすべての始まりは、STEZOさんから始まった。別に今会ってもキャッキャッする間柄ではないんですが(笑) 。なかなか恥ずかしくて言えないですけど、一番感謝してますね。

こないだもステさんのレッスンに行って、
んもー、痛いほど叩かれますからね。

「KEITA、全然違うよ。生徒のほうが全然できてる。」

みたいな(笑)。

でも、そうやって言ってくれる人がいることは本当に幸せです。

まぁ、僕をいじめようとしてるのか、
半分くらいはあるかもしれないですけど(笑)、
でも、やっぱり見てくてれるって言うのは嬉しいですね。

だから、これは毎回言ってますけど、仲間のことは、
活動する場所が違っても、離れても、
離れたって思って欲しくないって思うし、
忘れたときなんて一度もないですし。

TDM

でも、本当に仲間だったら、会わなくても応援してくれてるよ。
しかも、すごく配慮した上で伝えてるから
きっと伝わってると思うけどね。

今日は、本当にありがとう。
すごくエネルギーをもらえるいいインタビューでした。
'11/02/26 UPDATE
interview & photo by AKIKO


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