内容
1997年。既にあらゆる方面から、巨大なマーケットとして認知されていたヒップホップ。「ライム&リーズン」は、その商業化されゆくヒップホップの真髄を、現場で活躍する豪華アーティスト達が生の声で語るドキュメンタリー・フィルムである。ブレイクダンス、グラフィティなど各エレメント解説や、そのパイオニア達を紹介するとともに、ニューヨークからL.A.、ハウジング・プロジェクト(低所得者層住宅)からノース・ハリウッドの豪邸、ブロック・パーティーから業界コンベンション、純粋なクリエイティブ精神からセックス・ドラッグなど犯罪にまつわるギャングスタ・ラップまで、文化的、社会的側面からヒップホップの本質を探ってゆく。ナズが彼の出身である低所得者住宅にてライムに込めた夢を語れば、ローリン・ヒルが男性社会で生きる女性アーティストの声を代弁する。アイスTがギャング・ライフとドラッグの実情について語れば、Qティップは公園で子供達を囲みながら家族やヒップホップに託した未来を語っていく。さらに本作完成前後に相次いで凶弾に倒れたトゥパックとノートリアスB.I.G.の貴重な肉声を収録し、アメリカ社会を生きる都市部の若者の現実を浮き彫りにする。「ライム&リーズン」は90年代中期に一つの成熟の形をみたヒップホップ・シーンとそれを取り巻く環境を総括し、ヒップホップとはアーティスト達が直面するリアルな現実に立ち向かう為の表現手段と伝えるエデュテイメントだ。
Comment from TOMO from FUNKASTICK
1995年前後。私がHIP HOPの世界へとどんどん引き込まれ、ダンススタイルもかなり変化したと同時に成長した(自負!?)時期だ。その当時、私の創造性、社会性、ファッション感覚などを刺激し、また、“ダンスを通してのHIP HOP“から”HIPHOPど真ん中“へと私を導いてくれたアーティスト達の、その当時のインタビューが見られるときて、私は迷わず映画館へ足を運んだ。(※2005年都内で公開された)
Wu-Tang ClanがイキナリFREE STYLE!!
Lost Boysが屋外パーリー(美女付)!!
Nasが母への想いを語る!!
A Tribe Called QuestがBustaと「PEACE」を叫ぶ!!
いやー 映画終了後、しばらく立ち上がれない私。お腹いっぱいすぎて消化不良ぎみ。絶対もう一度観に来る!!そう心に決めて映画館を後にする。(リピーター特典なるものもあった。納得!!)しかし仕事の都合もありそうもいかず、DVDのリリースを心待ちにしていた。1970年代、SOUTH BRONXで生まれ、その後派生していったHIP HOP。その起源からその後の流れ、WEST COASTとEAST COASTの抗争とその犠牲者、 GHETTOに住むという事、貧困とそのコミュニティーなど、HIP HOPの持つNegativeな面もしっかり伝えている点も、このドキュメンタリーの魅力だと思う。更に、アーティストとレコード会社との確執についてもふれている。契約によるセールスに対しての圧。ファンと制作側との板挟み。現在日本でもHIP HOP CULTUREが急速に広まり、また成長しているが、その中で同じような思いを抱くアーティストも少なくないだろう。底辺に近い位置にいる私でさえ感じているくらいだからだ。「売れる音楽を作ろうと思った事はない。良い音楽が作りたいだけ。」とLauryn Hillは言う。
「Rhyme & Reason」
改めて見て思ったのは、影響力を持つアーティスト達は‥ とてもシンプルに生きているという事だった!
■関連トピックス
【TDM Interview】FUNKASTICK
TDM STAFF REVIEW
この時代のHIP HOP音楽は、今なお自然と体を揺さぶる名曲ばかり。ローリンの言葉を借りれば“売れる曲”というよりも、“良い曲”が多いということかもしれない。
時代の流れと共に、ビジネスや犯罪など社会全体に影響を及ぼし始めていたHIP HOPは、一部で本来の存在理由が変化せざるをえなくなっていた。韻(Rhyme)を踏むことの意味、そして、その理由(Reason)を、当時エネルギッシュに生きていたアーティストたちが、アツく、濃く語る90分。
出演者プロフィール
ウータン・クラン (Wu-Tang Clan)
NYのスタッテン島を拠点とし、91年頃結成された。中心メンバーは、RZA、GZA、 オール・ダーティ・バスタード(ODB)、 メソッド・マン、レイクウォン、ゴースト・フェイス・キラー、インスペクター・デック、U・ゴッド、マスター・キラーの9人。92年に自主制作した“Protect Ya Neck”で注目され、翌年「Enter The Wu-Tang〜36 Chambers」でアルバム・デビュー。プロデューサーでもあるRZAによるトラックと、個性溢れるMC達による強烈なライムで、西海岸ギャングスタ・ラップが席巻しようとしていたシーンで、NYに目を向けさせ直し、一躍注目を集めた。グループとしての活動と平行して、各人ソロ活動も行い成功を収め、シーンにて確固たる地位を築いているが、2004年にメンバー一の奇人オール・ダーティ・バスタードがオーバードーズで死亡した。
ナズ (Nas)
NY市クイーンズ出身。同地区出身のヒップホップ・クルーであるジュース・クルーに影響を受けてラップを始め、91年メイン・ソース“Live At The BBQ”での客演でデビュー。卓越したライミング・スキルを披露すると、MCサーチ“Back To The Grill”の客演を経て、映画「Zebrahead」のサントラ収録曲“Halftime”にてソロ・デビューを果たす。その直後コロンビアと契約し、94年にはアルバム「Illmatic」をリリース。DJプレミア、ラージ・プロフェッサー、ピート・ロック、Qティップなど、当時シーンを代表するプロデューサー達が提供した素晴らしいトラックと、ゲットーでの生活についての観察力鋭いリリックとで、同アルバムはSource誌で最高点である5本マイクを獲得、今では歴史的名盤として名高い。その後もコンスタントにアルバムを発表。最近では50セントとのビーフが勃発するなど、現在でもシーンの最前線にいるアーティストである。
ローリン・ヒル (Lauryn Hill)
ニュージャージー出身の女性MC。コロンビア大学在学中にワイクリフ・ジョン、プラーズらとフージーズ結成。アコースティック・ギターを使い、レゲエやロックを取り入れたオルタナティブなサウンドで注目を集め、「Blunted On Reality」 (94年)、「The Score」(96年)の2枚のアルバムで、トップグループとなる。また同時に「天使にラブソングを2」に出演し、歌もラップも演技もできる才色兼備の女性として脚光を浴びるものの、人気の絶頂にありながら活動を休止して長男ザイオンを出産。その生き方が若い女性の共感を呼び、98年にはソロアルバム「Miseducation of Lauryn Hill」を発表、全世界で1200万枚を超えるセールスをあげる大ヒットとなり、さらにはグラミー賞で女性アーティストとしては史上最多の5部門を受賞するという快挙を成し遂げた。音楽だけでなく、ファッション性や人物性もスポットライトを浴びた、カリスマ的女性アーティストだ。
Qティップ (Q-Tip)
NYクイーンズ出身。高校で知り合った仲間達と結成したア・トライブ・コールド・クエストで、90年「People's Instinctive Travels and the Paths of Rhythm」でアルバム・デビュー。ルー・リードからロイ・エアーズまでソースを選ばないサンプリング・センス、日々の生活を風刺したリリックで、ヒップホップ外からも高く評価され、一躍「ニュースクールの騎手」として認知された。91年発表のセカンド・アルバム「The Low End Theory」では、ベースを強調したジャズ的な音像で、以降のサウンド・プロダクションの一つの指標となった。93年にはサンプリング・ヒップホップの一つの金字塔「Midnight Marauders」を発表。圧倒的なクオリティで、シーンでの評価が揺るぎないものになると、Qティップは、ナズやモブ・ディープなど他アーティストのプロデュースを手がけるようになる。しかし、4作目「Beats, Rhymes & Life」(96年)にリリースするも、メンバー間での方向性に違いが生じ、98年「The Love Moment」を最後に、惜しまれつつも解散。以降、ソロ活動を行っている。音楽的な質の高さと常にポジティブなその姿勢は、多くのアーティストに影響を与えている。
ノトーリアスB.I.G (The Notorious BIG)
NYブルックリン出身。少年期よりラップに興味を持ち、ローカルのチームに参加し、技を磨く。4曲入りのデモテープがDJミスター・シーの手に渡った事が発端になり、The Source誌の名物新人紹介コラム“Unsigned Hype”に登場。当時アップタウン・レコードにいたショーン・パフィ・コムズが早速目をつけ、契約。メアリー・J・ブライジ“What’s The 411”の客演などを経て、パフィが新たに設立したバッド・ボーイ・レコードからファースト・アルバム「Ready To Die」(94年)を発表。ハスラーの経歴そのままのリアルなリリックとDJプレミア、ピート・ロック、トラック・マスターズなどのシーンを代表するプロデューサー達による優れたトラックで、一躍シーンの真ん中に躍り出た。しかし、94年トゥパックが銃撃されたのを機に、デス・ロウとの関係が悪化、96年にトゥパックがラスベガスで射殺されると、緊張は頂点に達し、セカンド・アルバム「Life After Death」の発売直前の97年3月、LAにて乗車中に狙撃され、死去。享年25歳。
Dr.ドレー(Dr. Dre)
サウス・セントラルLA出身。地元のクラブでDJとしてのキャリアをスタートし、ワールド・クラス・レッキン・クルーを経て、87年にイージー・E、アイス・キューブらとN.W.Aを結成。西海岸ギャングスタ・ラップの火付け役となり、D.O.C.など周辺アーティストのプロデュースも行うが、92年グループを脱退し、シュグ・ナイトと共同でデス・ロウを設立。初のソロ作となる アルバム「The Chronic」を発表。Pファンク・サウンドを引用した独自の“Gファンク” で、シーンを席巻するとともに、同作で大々的にフィーチャーしたスヌープ・ドッグを大成功に導くが、シュグと折り合いが悪くなり、96年にデス・ロウを離脱し、アフターマスを立ち上げる。99年にはエミナムのプロデュースで更に名声をあげ、現在でもトッププロデューサーの一人である。
<その他の出演者>
バスタ・ライムズ (Busta Rhymes)
トゥパック (Tupac Shakur)
ビズ・マーキー (Biz Markie)
サイプレス・ヒル (Cypress Hill)
アイス・T (Ice-T)
KRS・ワン (KRS-One)
ショーン・パフィ・コムズ (Sean “Puffy” Combs)
ヘビー・D (Heavy D)
クレイグ・マック (Craig Mack)
レッドマン (Redman)
エリック・サーモン (Erick Sermon)
ソルトゥン・ペパ (Salt-N-Pepa)
他多数