TDM - トウキョウダンスマガジン

TAKAHIRO 〜 Make your exit. 〜
TAKAHIRO 〜 Make your exit. 〜
「世界で活躍する、通用する」ってやっぱり凄い。昨今、日本のストリートダンサーはバトルの世界大会で優勝したり、コンテストの審査員、ゲストとして招かれたりと、世界レベルで活躍するダンサーが増えている。

TAKAHIROも世界を股にかけて活躍する日本を代表するダンサーのひとり。アポロシアターで番組史上最高の9大会連続優勝の新記録を打ち立て、その実績が日本や世界のメディアを動かした。彼のために動く人が多くなり、ストリートダンサーというタレント(=才能)の存在が、社会に影響を与えるようになる。そして、彼の生み出すものが世界に発信できる環境が整えられていく 。自分の出口を自分らしく作り出していく、その生き様は多くの人の心を感動させる。

一生懸命生きている人は大勢いる。みんな真剣に生きている、これも同じ。でも、自分のクリエイティブを多くの人が“良い”と評価し、「人の心を動かせる何か」をできる人は少ない。

ストリートダンスが単なるストリートから文化に変わっていく日まで、そう遠くはないはず。これからは、ストリートダンサーが多くの協力者を得て、発展していく時代がくるだろう。人間力をアップさせ素敵なダンス大国“日本”を築いていこう。

TAKAHIROTAKAHIRO

本名:上野隆博。ニューヨーク在住。ダンサー、振付師として日米で活躍。

05年HIPHOPの殿堂「NYアポロシアター」のエンターテインメントコンテスト「アマチュアナイト」に出場し、年間ランキングダンス部門1位を獲得。
翌06年全米放送NBC局TVコンテスト「Show time at the APOLLO」に出場、番組史上最高の9大会連続優勝の新記録を打ち立てグランドチャンピオンとなり、米国プロデビューを果たす。
09年にはマドンナのワールドツアー「STIKY&SWEEY TOUR」とPVにも出演。
10年8月には、自らプロデュースしたダンス舞台公演「SIX DOORS」を日本で成功させるなど、世界で活躍する日本人パフォーマーとして、今最も注目されているダンサーの一人である。

07年Newsweek Japan誌「世界が尊敬する日本人100人」に選出。
08年New York times誌には「TAKAHIROは驚愕の表現者」と評される。日本での主な活動は07年世界陸上大阪大会開会式オープニングアクト&振付
08年ブロードウエイミュージカル「トライアンフ・オブ・ラヴ」(演出;小池修一郎)振付
そのほか主なTV出演「天才たけしの誰でもピカソ」「世界を変える100人の日本人」(TX)「熱中夜話〜マドンナ特集」(BS-NHK)「徹子の部屋」(AX)「情熱大陸」(TBS)など
[Official Web Site]http://www.takahirony.com/


前人未到のグランドチャンピオン。こういう結末だったとは・・・。

TDM

アポロシアターで前人未到の9回連続勝ち抜きで、
殿堂入りを果たしたということですが、
少しアポロシアターの仕組みについて教えていただけますか?
1回のスパンはどれくらい空いているものなの?

TAKAHIRO

TAKAHIROまず、アマチュアナイトにはテレビシリーズと劇場シリーズがあって、ぼくは劇場シリーズから、延べで言うと、1年7ヶ月くらい出ていました。

テレビシリーズの9大会だけで言うと、テレビ撮影なので、1日ごととか、2日ごとにやったりするんです。

TDM

違う作品で、だよね?

TAKAHIRO

いや、ルールで同じ作品をやらなくちゃいけないんです。
だから、勝つのが難しいんです。
つまり、「あいつ、また同じことやってるよ〜」
っていうのがずっと続くわけです。

TDM

同じ台本を渡されて、
毎回それで観客を沸かせなきゃいけないんだ!

TAKAHIRO

TAKAHIRO自分は毎回あの振付をやるけれども、テレビでみんなすでに観たことがあるものだし、挑戦者はいつも新しいパフォーマンスなんですよね。

ぼく、1回途中で「変えちゃおう!」って思って、足でバンって蹴る振りを入れたんです。

そしたら終わったあとに
「ユー、振り変えたでしょ。私たちはいつでもあなたをクビにできるんだから。」と言われ、「こ、こえー・・・。もう、変えましぇん。」って言ったことがありましたね。

TDM

でも、間違えるのはしょうがないんでしょ?

TAKAHIRO

間違いとかはいいんですけど。
ぼく、1回目のとき、側転をしたら
ハプニングで帽子が落ちたんです。
けど、2回目以降も、その帽子が落ちるのを
頑張って再現して落としてました。

TDM

エ〜!じゃ、ひとつの作品をずっとやり続けて
1年半も踊り続けるモチベーションってどうやってキープしたの?

TAKAHIRO

TAKAHIROいや、本当にそのとおり。はじめニューヨークにいって、勝ったときは、「え、何!?あれ!?ウケたのか、おれは!?」と思って、

で、2回目のときにもスタンディングオベーションになる。「あれ?これは、もしかして・・・ぼく・・・」ってなる!

さらに3回目も勝った!
「・・・マジだ。おれは今やってるぞ!」という喜び!
はじめの1年は劇場版をそんな感じで駆け抜けました。

すると、ディレクターが
「ユー、劇場版で決勝までいったから、テレビ版に出ちゃいなよ!」
と誘われました。

TDM

劇場版とテレビ版でどういう違いがあるの?

TAKAHIRO

TAKAHIRO一般的に言われているアポロシアターのアマチュアナイトは劇場版の大会で、毎週水曜に行われている大会です。清水翔太くんなど日本人でアポロシアターに出たと言われるのはこの劇場版の場合がほとんど。

そもそも、この大会はヒップホップエンターテイメントの大会で、ヒップホップエンターテイメントなら、歌でも、弾き語りでも、ダンスでもいいんです。

だから、歌謡曲を歌うのはダメだけれども、それが、ヒップホップじゃんって認められればいいんです。

真の優勝は、年間チャンピオンになること。

そのために、トーナメントのピラミッドが組まれているんです。
1ヶ月に1回の初戦、2〜3ヶ月に1回の2回戦があります。
もちろん作品は変えちゃいけない。

でも、それはお客さんが違うし、テレビでも流れていない。

よく、優勝した!って言う人がいるけれども、
その月に1回の初戦で勝っても優勝にはなりますね。

それを、1年間、約1000組が最後の決勝戦まで争うわけです。

それで、ぼくはそこの決勝では3位だった。
そのあとに「ユー、決勝までいったから、
さらに上位のテレビ版があるんだぜ!」と言われたんです。

それは「SHOWTIME AT THE APPOLO」という番組で、
NBCという放送局で全米放送されています。
で、それに出た。

それは、ダンスカテゴリと歌カテゴリのふたつに分かれている。

ダンスは一対一。チャンピオンがいて、挑戦者がいる。
ひとりでもグループでもいい。
ぼくがはじめて挑戦者でいったときは、
チャンピオンチームは12人いる黒人のチームだった。

それで、そこに勝つと、
今度は自分がベルト保持者になって、
1週勝ち抜いて、挑戦者が来る。
ぼくは同じ振りをやって、挑戦者はいつも変わって来る。

お客さんは、それを観て、
MC 「どっちがおもしろかったかーい!?Aさんかい!?」
観客 「パチパチ・・・」
MC 「彼かい!?」
観客 「ウォー!!」
MC 「じゃ、彼だね!!イェーイ!」
となります。

それを、9大会続けた、というわけです。

TDM

劇場版での3回目までと、
9週勝ち抜く頃とでは踊りは変わってきた?

TAKAHIRO

あのね・・・変わるんですよ。
踊りの振付は変わらないんですけど
、 踊るときの気持ちが変化しました。

テレビに出て1回目に勝ったときは、
「やっぱりテレビでもイケるかも!」
と思うわけですよ。

そして、2回目勝った、3回目勝った。
そのとき、日本人で今まで聞いたことのない記録になってるから
「お!日本人初になってる!やった!」

4回目になると、
「あれ?コレいつまで続くんだ?」

アポロダンスチャレンジってみんな言うんですけど、
今までの流れで言うと、チャンピオンはいつか負けて
そのストーリーが終わるんです。

つまり、今日戦って、勝っても、
いつか負けて終わるストーリーのためにぼくは戦ってる。
しかも、ぼくは、もう新しいものを見せたいという
欲求があるのにコレをやらねばならん。

そして、挑戦者は1回1回本気でくる。
それぞれすごい夢を持ってくる。

バックステージには、ぼく以外の人が
コンテストでいっぱいいて、
優勝者がいればあとは全部敗者ですから。
その彼らを見て、次も戦う。

だから、いきたくないな、やりたくないなって想いでやるなんて、
それは許されない。

舞台に立ったからには
勝たないとぼくの気は済まない。
負けるわけにはいかない。
勝つとか好きじゃないけど、負けるのはいやだ。

お客さんが観ているのに、
「今日は調子が悪いから、ゆるめにやろう」
なんてできるはずがない。
だから、途中逃げたくなるし、投げ出したくもなる。
でも、続くんですよ。

で、結局、最後の9回目の番組は2クール続いていた。
つまり、1回目の放送ではじまったシーズンが終わって
その次のシーズンの最終回。

スタッフの人が裏で
「いつまでコイツのダンスチャレンジは続くんだ?
もう、クールが終わるじゃないか。」と。

TAKAHIRO「これで勝ったら、グランドチャンピオンってことにして殿堂入りにすればいいんちゃうか。」と。

んで、最後も勝って、そしたら横から小切手を出してくれて「グランドチャンピオンになりましたー!」ってね。

・・・ホッとしましたよ。

よく、みんな、「嬉しいでしょ、感無量でしょ」って言うけど、ぼくは「はぁ・・・終わった〜・・・。」でした。こういう結末だったんだなと思いましたね。

TDM

チャレンジしたときの気持ちと、
チャンピオンになったときに気持ちは全く違うだろうし、
まさかそんな風になると思ってなかったよね。

TAKAHIRO

まったく思ってなかったです。

メダカが育ってきた小川に浸かった感じ。


TDM

アメリカにはトータル的にはどれくらいいるの?

TAKAHIRO

今は6年ちょっとですね。
2004年12月6日に着き、今に至る。

TDM

活動の拠点はニューヨーク?

TAKAHIRO

よく拠点とか聞かれるんですけど、
それは住んでる長さのことを言うんですか?

日本は実家で、ニューヨークでは家を借りていて
ずっと借りたままになってる。
じゃ、今はニューヨークってことですかね。

はじめの1年半とか、2年くらいは帰らなかったです。
何かをやってからじゃないと、帰れないですよね。

TDM

アポロシアターの一連が終わったあとに日本に帰ってきたんだ。
行く前の日本の環境と、帰ってきてからの日本の環境って、
どういう風に自分の中に映った?

TAKAHIRO

まず、行く前は
自分は日本人っていうのが当たり前だったけど、
帰ってきて、「あ、これが日本か。は〜、これがおれの故郷だ。」
って思いました。

TDM

日本のどういうところを感じた?

TAKAHIRO

TAKAHIROにおい。あと、音。

違いを見るのって、目ですけど、実際は違って、飛行機から降りた瞬間、目をつぶっても、「あぁ、日本だー!」ってゾゾって感じるんですよ。

好きなにおいじゃなくって、育ってきたにおい。
つまりアレですよ。
日本の小川に住んでたメダカ。
メダカがそこで育ちました。
ある日アメリカの川にポチャンと落とされた。
「うおー!なんだー!?」となりつつも同じ水だし生きていけるし、
なんとかやっていける。そのうち、その水にも慣れてくる。

でも、周りはブラックバスとか、
見たことのない、知らない魚ばっかり。
でも、そこは同じ水。

そのメダカが久しぶりに日本の小川にチャポンと浸かったときに、
「はっ!おれはここで育ってきたんだ。この小川が体に合うや〜。」
って思う感じ。

TDM

ダンスシーンではどういう風に感じたの?

TAKAHIRO

TAKAHIRO日本の方が“型”を大事にしますよね。むしろ、型を追求できるって言うのかな。

あっち(ニューヨーク)はいつも走って新しいものっていうのを求めてる。もちろん、オールドスクールのストレッチとか、エレクトリックブガルーズとか、伝統を守ってくれる人はいる。

でも、怏々の若者たちはいつもフレッシュなものを求めて、世界中の新しいものを取り込んでいくわけです。

あとニューヨークは、個人主義かな、やっぱり。
もうダンス観てても、まるわかりですよ。
日本は“グループ・チームでどう見せるか”。
アメリカは、チームじゃない。基本的に“おれがどうするか”。
「おれはこれができるから、チームで使えるだろ?」っていう感じ。

新作舞台。文化のるつぼ的なニューヨークをお見せします。


TDM

ダンサーとして踊る自分、プレーヤーと
コリオグラファーとして振りをつけるときと、
総合演出するときと3つ役割をやっているじゃない?
自分の中でスタンスって変わる?

TAKAHIRO

変わりますよ。
中でも、ぼくは総合演出の部分が得意だと思う、

TDM

総合演出の魅力って何だろう?

TAKAHIRO

魅力・・・
やっぱり自分で、結局何かを創っているっていう話ですね。

それは、ひとりでやってたら、
自分で新しい振付とかムーブを創れる。
グループでやってても、主張できる。

今までぼくはソロでやってたから、
ソロってイメージの限界がある。
分身はできないから。

その、ぼくがやりたかった欲求が
総合演出だったら、いろんな人を使って、できるわけです。

「あ、これをやれたら・・・」っていうね、
今までのソロではできなかった爆発力が、楽しいですよ。

TDM

4月の公演『ELECTRIC CITY』の場合、
どういうところから作ったんですか?メンバー?音楽?

TAKAHIRO

TAKAHIRO去年も『SIX DOORS』という舞台を創りました。 そのときは、ぼくがやるべきことをやったつもりなんです。

舞台が創れるなんてことがそうそうないと思ったから。成功するか失敗するかもわからないし。

もし、アメリカでやる舞台の最後だとしたら、何を伝えるのかというのを考えて、ひとりの人がいろんなジャンルをやる可能性があるよっていうことを伝えるような作品を創るべきだと。ひとつのジャンル、だけじゃなくて。

それで、エンターテイメントを創ることができるし、案外そこに魅力があったりする。
バレエ系の人がヴォーグをやってみたり、
ヒップホップをやってみたり。
「あ、こういうのもあるんだ!」っていうのがニューヨーク。

もちろん、バレエ団でずっとバレエを追及する人もいるけど、
でも、もう片方の、色濃い“なんでもやってみる!”っていう、
人種のるつぼ的な、ね。
文化のるつぼ的なニューヨークを見せたかった。

今回は、前回が無事にできて次ということだから、
今度は自分が、かっこいいと思うことをやろうと思ったんです。

自分は何がかっこいいかなと考え直したら、
一番初めのニューヨークにいったときに、
あこがれていた人たちと働きたいぜ、と思った。

エンジェル・フェリシアーノって人は、
ぼくが、はじめてニューヨークで
ダンスのクラスを受けた人なんです。

ぼくはニューヨークに行くまで、
ダンスのクラスを受けたことは1回もない。

つまり、人生でちゃんとダンスのクラスを受けた人は、
エンジェルなんです。
そして、そのあと彼のカンパニーに入って一緒に良く働いてた。
それがTHE MOVEMENTです。

TAKAHIRO一緒に周ったツアーの中で、今回の前身、母体となる振付が彼の中であって、ぼくが主演をして、オランダツアーにもいったんです。それで自分の中でもアイデアができてきて、自分があこがれて門をたたいて入ったカンパニーでやっていることを日本の人にも観てもらいたい。

ぼくのアイデアだけで外国人を日本に連れてきても、それはニューヨークを持ってきたということにはイコールになりきらない。

ニューヨークを持ってきたいんだから、
ニューヨークのフレッシュなダンサーで
フレッシュなアイデアを持っている人、
フレッシュな映像を創れる人・・・
いろんな人を混ぜてひとつのものにしたい。
それをコントロールするのが自分であり、演出家だと思ってる。

なので今回は、まずはエンジェルというディレクターと
コラボレーションしようということにしたんです。

すでに骨組みはあるけどぼくはさらに変えていきたい。
基本はぼくがカッコいいと思ってる振りを使うけど、
ダンスばっかりの部分が多いので、
ウォーキングとかアクティングする部分を増やしたり、
自分なりのアイデアを入れて、ぼくのショーに変えていく。
つまり、ぼくたちのショーになるということ。

それで、日本に連れていくメンバーを
どうやって選んだかというと、結構簡単。
だって周りにすごいやつらはいるわけで。

例えば、エンジェルは
ジャスティン・ティンバーレイクの振付をやったり、
iPodのCMにも出ている、そして、ぼくが好きな人。

アノインティッドはアリシア・キーズのツアーにも出たし、
ぼくと一緒にTHE MOVEMENTのツアーにも
周ったことがあるからまちがいない。

ヒストリーも一緒にツアーを周ったし、
彼はアクロバットができる。そして、黒人。ぼくは欲しい。

ほかのメンバーも
ぼくがカッコいいと思ったメンバーだから呼ぶ。

イメージのバランスも、ぼくは見たい。
白人、黒人、スパニッシュ、アジア人。
ぼく以外に連れてくるメンバーは8人プラス湖月さん。
ぼくを含む8人はフロムニューヨーク。

湖月さんはフロムジャパンです。
だから、やっぱり日本でやるからには
、 日本のフレーバーをもっと濃く入れたい。

彼女が日本とアメリカの掛け渡しをしてくれる存在。
ぼくも日本人だけれどもアメリカにいる演出家として、
ニューヨークを日本に持ってこようと思ってる。
だから、日本の香りがする人は湖月さん・・・宝塚はザ・日本だし。

そうして、ニューヨークを伝えたいっていうときに
メンバーそれぞれの持っている強みや
人種の違いや存在そのものを
うまく活かしながら作品を創りたいし
全体の道筋を創っていくのが、ぼくの役割。

言い方をかえると
みんな持ってる野菜が違うんですよ。
エンジェルはニンジンを持ってる。
アラインテッド君はジャガイモを持ってた。
ヒストリー君が肉だとするでしょ。
3人合わせたら肉ジャガができるじゃん。

それからさらに玉ねぎを持ってきてもらったり、
さらに人が集まってカレー粉になればカレーになるじゃん。

TDM

そういう創り方をしてるんだね。
「じゃ、ジャガイモ持ってきて」っていう会話は
実際どういう会話になるの?

TAKAHIRO

TAKAHIRO実際は、まずは「これをやって。」と自分のイメージにあるものをやってもらいます。

振付したものをやってもらって、配置を付けたりもする。そうすると、何か言いたそうな顔をするんですよ。

「なに?なに?なにかある?」って聞くと「うん、こういうのがある。」と答える。与えて、引き出す。引き出したものを活用する。

命令だけするのは簡単だけれども、
それぞれがそのうち自分自身の意識を持って動きだして、
それぞれのパーツになるんです。

つまり、人の身体と一緒ですね、
ぼくは脳だとしたら、手の人がいて、心臓の人がいるわけです。
手は、ぼくが意識して動かしているように見えるけど、
勝手に動いてくれるわけです。
それだけの役目をしてくれる、それだけのすごいやつらなの。

それぞれ部分で役目がある。
指示してるたけだったら、
指示してからじゃないと動かない。
それ以上のものは出てこない。

その、彼らから出るものを待つ作業は
まずは自分が与えて、それをやってもらって、
その中から彼らの欲求を感じ、その欲求を表に出してもらって、
それを満たすことによって、次の欲求が出てくる。
そのさじ加減です。

欲求を受けすぎると、暴走してしまうし、
はねすぎたら、彼らの本当のよさは出ない。
ぼくが創るよりも、いいものを彼らは持ってるんです、絶対。
それぞれのものの接点をぼくたちはうまく作ってる。
その瞬間にどこかが跳ね上がる瞬間がある。
そこを見つけるっていうのが、製作途中で出てくる。

TDM

それぞれの才能の相乗ですからね。

TAKAHIRO

TAKAHIROたとえば、アノインティッド君というヒューマンビートボックスをやる人はリハーサルをはじめたときは、まったく動けなかったんです。動くという考えが存在しなかった。

彼は、自分がいいときだけ出てきて、ブンブンやると思ってたし、何年間も何百というショーをやってきた。
でも、今回ぼくは、彼も動くっていうビジョンが欲しかった。だから、とにかく、「ここだけでいいから参加して」って言ってみる。

それができるようになってくると、
本人も「お!オレ、できる!」ってなってくる。
それからやってみて、やってみて、やってみて、
そのうち、みずからアクティングをするようにもなってきた。

しまいには記者会見でも観てくれたと思いますが、
くねくね踊ってくれた。
それは、もともと彼が持っていたものなんだけれども、
彼が自分自身ではそれまで見ていなかったもの。
そこが作品作りのおもしろいところ。

左脳のマドンナ、右脳のマイケル。


TAKAHIRO

結構めずらしい質問ですよね。
このインタビューって。

TDM

そうですか?まあ、ダンサーを中心とした環境の方に
向けて配信しているのでそう感じるかもしれないね。

TAKAHIRO

どんどん来てください(笑)。

TDM

では...マドンナのダンサーもやってたでしょ?
彼女は世界のトップアーティストだよね。
接した印象として、どういうアーティストだった?

TAKAHIRO

まぁ、思ってた人とは違ったかな。
ぼくはビッグアーティストは怖い人かと思っていたから。

普通に会ったらハグするし、気さくだし、家にも呼んでくれるし、
「みんなで映画見よう」とか言うし。そういう感じかなぁ。

彼女がすごいのは、とびきり歌がうまいのではなく、
とびきりダンスがうまいわけでもない。
じゃ、何がとびきりなのかって、
とびきり布陣を作るのがうまい。

TDM

布陣?

TAKAHIRO

TAKAHIROうん。彼女は彼女の周りを配置することによってすばらしい才能を活用することがうまいんです。

彼女の才能は、周りの人の才能をフルに引き上げてそれを適切な場所に配置していって・・・

つまり、彼らは彼女よりもすごいダンスを踊ってるし、パフォーマンスをしているけど、彼らの才能が鏡のようになって、
本番のステージでライトが来た瞬間に
全ての光が彼女の真ん中に
集約されるように創ることができる。

ぼくの中でのイメージは、
左脳のマドンナ、右脳のマイケルなんです。

マイケル・ジャクソンというのは、
彼が天才的で、彼自身がもうスペシャル。
だから、どんなにすごいダンサーが周りで踊ってても、
マイケルがすごい、ということになる。

ただ、彼の苦しんだところは、
メディアとか、それぞれ違う人の社会的意思とかに
すごく左右されてしまったんじゃないかなと思うんです。

マドンナというのは、
情報とかハプニング、スキャンダルというのも
自分が繰り広げるエンターテイメントの
ひとつに入れちゃうわけです。
彼女は真ん中にいながらにして、製作者なんです。

ダンスは自分から一番遠い存在だった。


TDM

10年前もダンスをやってたよね?

TAKAHIRO

はい、ちょうどダンスをはじめてちょっとした頃だ。

TDM

それで、今があって、これから10年後って何をしてると思う?

TAKAHIRO

やっぱり、あれですよ・・・
プロデュースしていると思いますよ。

ダンスは好きでやってる。
絶対好きでやってるけど、
10年後舞台に立って「フンッ!」って
思い切りやってるかはわからない。
それぞれの演じることができる役があるじゃないですか。

もともとぼくは舞台でただひとりで踊るのが
楽しかった時代があるから・・・。

TDM

もともとなんでダンスをはじめたの?

TAKAHIRO

TAKAHIRO高校まで厳しい学校で、ダンスってよく知らなかった。東京で育ったけど、大学に入るまで新宿とか渋谷に1人でいったことがない。

詰め襟を上まで締めて、“スタスタスタスタ”って歩いてる感じ。いや、ほんとに。

で、大学生になりました。はじめて女子もいます。幼稚園から高校まで男子校だったから。

そして、日常で制服以外の服をはじめて着る。
ぼくはそれまで、茶色のズボンに茶色のシャツを着るのが
おしゃれだと思ってたぐらい。
おしゃれっていうのがまったくわかってない。
それで、テレビも見なかった。

TDM

勉強だけしてたってこと?

TAKAHIRO

TAKAHIRO勉強もたいしてできなかった (笑) 。よくわからなかった。学校にいって帰るっていう究極の無菌状態ですよ。よくもまぁ、ここまで無菌にできたなと。

それで、大学生からは、はじめて好きなことができるわけです。
「あれ?ナニナニ?何すればいいんだろう?」

自我の目覚めですよ。
それで、ぼくはあんまり運動は得意じゃなかった。

「じゃ、ぼく、好きなことやろう!カッコいいことやろう!
カッコいいことやって、
よくわかんないけどキャーって言われるようになろう!」
で、ぼくの中でカッコいいイメージは、ダンスだったんです。

本当は、体操でもなんでもよかった。
とにかく自分の体をスペシャルに動かせる人にあこがれたんです。
自分にできないから。で、ダンスは、なんか自分もできる気がした。

当時、テレビでRAVE2001をやってた。そういうのもあって
「うぉー、ダンスってカッコいい!
なんかめっちゃイケてる感じがする!」
自分から一番遠い存在に感じるわけです。

ぼくは詰め襟で“スタスタスタ”って感じなのに、
みんなは“ヘイヘ〜イ”とかやってるから、
「うおー!コレだー!」って思った。

大学の体育館にいったら、
背中でぐるぐる回ってる先輩がいる!
「うゎ!カッコいい!カッコいい!
おれもやりたいです!ぐるぐる!」
って先輩に言ってはじめました。

でも、ヒップホップという言葉もよく知らない。
だから、とにかくぼくは背中でぐるぐる回るのがやりたかった。
ダンスというよりもウィンドミルの練習ばっかり。
それで、練習やっててできるようになってくるんですけど、
1年後ぐらいに。長かった〜 (笑) 。

やってる途中で踊ろう!という話になった。
好きなことを踊っていいわけです。
今までは学校の宿題とか、
こうしなさい!ああしなさい!と従ってきた人生だったけど、
なんでもやっていい。

それで、曲を流して踊るのがダンスだ!と思って、
好きな曲を流したんです。
家にはヒップホップの曲なんてないから、
自分の聞いてたポンキッキの歌とか、歌謡曲とか
それを流して動いてた。

別に、そのときは誰に見せようとは思ってないわけです。
ただ、自分の中で新しい動きができたり、
「こんなこともやれるんだー!」って
鏡の前でやってるのが楽しかった。
そういう時期があったんです。

そしたら、ぐるぐる回る中の1人のやつが
「おもしろいね、そのスタイル。一緒にやろうよ。」
「ほう・・・やる?」って言って、
「こんな曲使ってみよう、あんな曲使ってみよう!」

と、ああだこうだとやっていって、2人とも似た感性だった。
相方は、バク宙、バク転とかアクロバットができた。

TDM

それはチームだったの?

TAKAHIRO

はい、仇桜 (あだざくら) っていうチームです。
それで、偶然イベントに出れることになって
出たら、ウケたんですよ。
全然ヘタッピだったんだけど、ウケたの。

はじめは、ただ本当に
ヘンテコな曲をつなぎ合わせただけでやってたんだけど、
だんだんそれが「次もやろう!次もやろうよ!」となってくると、
「ここはこういう構成にしようぜ」と凝っていく。

そうすると、だんだんスタイルっていうのができてくる。
そして、運のいいことに、周りにそんな仲間が集まってきて
盛り上がっていったんです。

出口は自分で作れるってことです。


TDM

すごくラッキーな環境に恵まれてきたんだね。
これからとしては、プロデュース業を
いろんな世界でやっていきたいのかな。

TAKAHIRO

そうそうそう。
世界に通ずるエンターテイメントを輩出したいですよね。

ほら、ぼくはここまで来るのに10年かかって
道はどこかな?ここかな?って探してきたけど、
今度は5年でいけるぜ、3年でいけるぜ、となるかもしれない。

TDM

ポンキッキからはじめたんだし、
そりゃわかんないことが多かったはずだよね。
これからそういう近道のためのアドバイスというか
読者へのメッセージがあればお願いします。

TAKAHIRO

TAKAHIRO…“らしくあること”じゃないかな。

もし、あなたが本当にどんどん有名になってすごくなってきたときに、 自分自身が物事を考えて伝えて、
自分自身が新しい作品を創って、
自分自身が発信者になる、
そのときに何を発信するかが大事になってくる。

今は発信者になる前に受信をしているわけだけども、結果、最後に発信することになるんだから、自分らしくあって、自分は何を伝えていくのか、自分ってどんなことができるのかっていうのを今からそして常に見ていてほしい。

授業を受けるのはいいけど、
先生のようになるのを目指すんじゃなくて、
先生のフレーバーを自分の中に入れて、
どう自分の中で膨らませていくかっていうこと。

だから、ダンスに関係ないこともすごく役に立ってくる。

ぼくが今こうやってできているのは、
それこそ、ポンキッキの曲とか、ゲームとか好きだったことが、
ただ、形になって、らしくあったことを形にしたから。
それがうまくいった。

だから、枠にとらわれないで。
出口はひとつじゃない。

右を見たら非常扉もあるし、
下を見たらマンホールもあるし、
手を上げればタクシーだって停まる。

つまり、みんなひとつの出口って書いてるところを
目指して走るでしょ。

でも、その出口から出られるのは、
出口の目の前にいた運のいい人と、
出口に駆けていける
めちゃめちゃ足の速い本当に実力のある人と、
出口に遠くても、
周りに走ってる人をなぎ倒すくらいの圧力のある人。

その中で自分も走ってるわけです。

でも、出口はひとつじゃない。
出口は自分で作れるってことです。

TDM

たとえがうまいね〜 (笑) 。
今日はニンジンからはじまって、メダカなど出てきましたけども...。

TAKAHIRO

そうかい?
ま、父の影響だな、これは。

TDM

あら。お父さんは何されてらっしゃるんですか?

TAKAHIRO

TAKAHIRO普通に会社で働いてます。性格的に似てます。

祖父が言ってたのはね、「魚を釣るぞ。メダカじゃないぞ、クジラだぞ。」コレ、うちの家訓。

TDM

素敵ですね (笑) 。
では、これからもクジラを釣るのを楽しみにしています。
今日はありがとうございました。4月の公演、頑張ってください!
'11/04/09 UPDATE
interview by AKIKO
photo by imu
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