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Story of HOUSE OF NINJA 〜Javier & AKIKO 〜
Story of HOUSE OF NINJA 〜Javier & AKIKO 〜
ニューヨーク発、いまや世界に支部をもつHOUSE OF NINJAという集団をご存知だろうか。昨今、商業的なイメージをもつロスアンゼルスに対して、アーティスティックな印象をもつニューヨーク。カルチャーと音楽がリンクしているリアルな音楽シーンにダンサーが存在するからなのだろう。ヴォーグやハウスは一部分のシーンが商業的にリンクしており、リアルなライフスタイルの中にあるハウスミュージックは、生き方のスタンツに思える。

最近の日本において、ハウスという音楽は一般的な環境(飲食店やニュース番組等でのBGM)で使用されることが多いが、メジャーなアーティストが存在し、ホールクラスの全国ツアーをしている印象はあまりない。もちろん、お洒落を大切にし、センスが必要とされることも文化の象徴として当然であり、その影響力が効果をもつこともあるが、ダンスのジャンル的には絶対人数が少ないのは事実。今回はそんなハウスカルチャー背景にあるLOVE&PEACEとエンターテイメントの繋がりをHOUSE OF NINJAのハビエル氏とAKIKO氏から知ることができるインタビュー。

JavierJavier Madrid a.k.a Javier Ninja

2006年、Vogue界のカリスマである今は亡き「Willi Ninja」のトレーニングを受け、VogueとBallroomのコンテスト、P.O.C.CとLatex ballにて初めて優勝を果たす。2007年以降、毎年恒例の世界中から集まるコンテスト、「House Dance International NYC」(HDI) 2007-09のVogue 部門にて、3年連続優勝を果たし、2008年はBrian Green主催「House Dance Conference」 のVogue&Waackingコンテストにて優勝。 Javier Ninjaはバトル、コンテストの賞金泥棒といわれる傍ら、2007年以降、フランス最大規模のダンスコンテスト、「Juste Debot」、そしてイギリスやスェ−デン、イタリアなどでゲストパフォーマンスやコンテストのジャッジ、ワークショップなどの依頼を受ける。 2009年、日本に初上陸。日本でストリートダンス最大級のイベント「Dance @ Live Final 2009 in両国国技館」にてゲストパフォーマンスとコンテストのジャッジを務める。更に、「Legendary House of Ninja」 のリーダーである、Benny Ninjaがモデルのポーズやランウェイのコーチ役を務め、Tyra Bankが司会を務めるアメリカで超人気のTV番組、American Next Top Modelにゲストスターとして出演他、現在、コレオグラファー、ファッションコーデイネーター、スタイリストとして活躍する。

AKIKOKiT Ninja (AKIKO TOKUOKA)

2006年 グラミー賞の受賞のDJルイベガがプロデュースしたアーティスト“Mr.V”の”Da Bump”のPVやライブパフォ-マンスにダンサーとして出演。ブルーノートNY、クイーンズ美術館、ラママシアターNY、ケネディーセンター(ワシントンDC)、リンカーンセンター野外ステージなどを代表する、数々の舞台でのパフォーミングアーティストとして活躍。 2009年 正式に「Legendary House of Ninja」メンバーの一員になり、日本のストリートダンスシーン最大規模を誇るイベントである「Dance @ Live Final 2009 in両国国技館」に「Legendary House of Ninja」 のゲストパフォーマーの一人として出演する。2010年現在、身体の事や正しいトレーニングについて興味を持ったのがきっかけでジャイロトニック、ジャイロキネシス認定インストラクターとして、アスリート、ダンサー、歌手、モデル、主婦、ビジネスマンまでそれぞれにあったプログラムを組み、幅広く指導している。


ニューヨークでうまくいくかもしれない。

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まず、AKIKOさんから、ダンスをはじめたきっかけを教えてください。

AKIKO

AKIKO私は、小学校1年生のときに バトントワリングを習いはじめたのがきっかけです。 中学校1年生まで続けていたんですが、 安室奈美恵さんを見て、ダンスのほうに進むようになりました。

電話帳で地元・京都にあるダンススタジオに 「安室ちゃんのようなダンスをやりたいんですけど、やってますか?」 と、電話をしました。

ジャズやバレエのダンススタジオはあったんですが、 ああいうストリートのダンススタジオがちょうどできはじめた時代で、 通いはじめたスタジオで私が1期か2期生でしたね。

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それから、ニューヨークへ行くまでの経緯は?

AKIKO

もともと英語が好きで、 大学生時代に英語を専攻していました。

単純に、英語とダンスの共通点がニューヨークかロスだったので、 大学の夏休みを利用して両方行ってみたんです。 そのときに、ピンと来たのがニューヨークでしたね。

ロスは、夕方眠くなっちゃったんです (笑) 。 だらけちゃったというか。

でも、ニューヨークでは、「やってやろう!」って気になったんです。 「なんか、ここでうまくいくかもしれない。」ってそのときに思えました。 頑張れるかもしれないなと、単純に思って、 大学を卒業したら行こうと決めました。

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では、ハビエルさんのダンスをはじめたきっかけは?

Javier

Javier5歳から習いはじめました。 ミュージックビデオを見て真似をしていましたね。

小学校のときに、バレエのスカラシップを取得し、 5年間バレエの教育を受けました。 朝9時から午後3時までレッスンの日々でした。

バレエを通じて、モダンダンスなどもやっていて、 そのときに感情を使うダンスというものが 自分の中で大きくなっていきました。

特に、おじが私を応援してくれました。 「得意なことを伸ばしたほうがいい、踊りなさい。 やりたいことを続けなさい。 恐がらなくていい、夢を追い続けなさい。」と。

おじのすすめがあったから、 今では世界で踊れるようになったんだと思います。

HOUSE OF NINJAの成り立ち。


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HOUSE OF NINJAが創られた経緯は?

AKIKO

ボールルームシーンをご存知ですか? アンダーグラウンドの、ドラッグクイーンとか、 ゲイの人が集まるようなシーンがあるんですが、 そこでHOUSE OF NINJAは産まれました。

Javier

そこでは、コンペティションの要素があり、 競って「HOUSE OF〜」という名のクルーが誕生していきました。

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ここでの「HOUSE」というのは、どういう意味ですか?

Javier

Javierそれぞれのハウスには、ひとつの家族のように マザーとファザーの役割をする人が存在します。

1970〜1980年代、ゲイやレズビアンだった子どもたちは、 ご法度な存在として世の中に受け入れられていませんでした。

「そんな子に育てた覚えはない」と親たちに追い出され、 行き場のない子どもたちがいました。 彼らはお金もなく、ホームレスになったりする子もいます。

ボールルームシーンはそういうところからできあがっていきました。 そして、そういう子たちが集まるから、ハウスといいます。

そして、マザーとファザーは集まった子どもたちに、 生きる方法を教えます。

彼らは性別に関係なく、役割として存在しています。

食べ物を与え、学校の教育を受けさせ、 仕事の援助などもしますが、表立った活動ではありません。

そして、ボールルームシーンで踊るときだけが、 虐げられている彼らを思い切り解放できるとき。

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そのハウスのメンバーはたくさんいるのですか?

Javier

我々のいるニューヨーク、マイアミ、シカゴ、オークランド、 どこにでもいます。人数は何人でも関係ありません。 ハウスはメンバー同士のことであり、クルーです。

HOUSE OF PRADA、
HOUSE OF NINJA、
HOUSE OF MILAN、
HOUSE OF XTRAVAGANZAなど、
そういうファッションブランドをつけるのが好きなんです。

ヴォーグは音楽に合わせてポーズをするのがコンセプトで、 ブランド名には、ファッショナブルであり、自由であり、 華やかであることの想いが込められています。

そして、マザーやファザーは亡くなったりしても、 次の世代が継いでいきます。

HOUSE OF NINJA創始者ウィリー・ニンジャ。 


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ハビエルさんがHOUSE OF NINJAに入ったきっかけは?

Javier

他のハウスでは、しきたりとして、 ハウスのマザーやファザーに申し出て、 ボールルームに参加し、バトルで勝つと入れます。

しかし、僕たちHOUSE OF NINJAの創始者である、 ウィリー・ニンジャ(Willi Ninja) はそれを嫌いました。

AKIKO

ニンジャでは6ヶ月くらい行動を共にし、信頼関係を作ります。 ダンスのスキルだけのことじゃなくて、 家族のように関係性を築いていきます。

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仲間の意識になるまでに時間がかかるということですよね。

Javier

ウィリーはこれまでたくさんの人を助けてきました。

ドラッグから救ったり、売春婦だった子を更生させたり、 人間性を高める手助けをしました。

いつも20ドルほどポケットに入れていて、 見知らぬ人に渡したり、食べ物を恵んだりもしていました。

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新しくハウスに入った子たちは誰でもパフォーマンスができるのですか?

AKIKO

家族は家族の単位でハウスというのがありますが、 ダンサーとしてパフォーマンスができる人は選ばれた人たちです。

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ダンスをしたくない人がいたとしたら、それは受け入れられるのですか?

Javier

Javierもちろん。それも、受け入れられます。 ウィリーが本当に寛容な人で、 ダンスじゃなくても、誰でも他のパフォーマンスが許されますし、 他のハウスに移りたいと言っても、OKしてくれます。

彼自身も他のハウスと共演したりしていましたし、 ジャンポール・ゴルチェのモデルもしていました。

彼が、アンダーグラウンドだったハウスを メインストリームに押し上げてくれました。

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彼がマドンナのヴォーグを振付けたと聞いています。

Javier

いえ、マドンナのヴォーグはホセ&ルイスが振付しました。 HOUSE OF XTRAVAGANZAのメンバーです。

ウィリーはミュージックビデオに出て、ツアーに参加しただけ。 ただ、マドンナ登場のあと、ヴォーグは下火になりました。

そして、また最近ではボーギングのダンサーのクルーがアメリカのダンス番組で優勝したり、ミュージックビデオや、モデルのランウェイに要素が加わっていたりしてヴォーグの知名度が上がってきていますね。

ヴォーグとの出会い。 


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ハビエルさんはバレエやモダンをやってきて、 そこからどうヴォーグにいったんですか? ヴォーグに出会わなければバレエやモダンダンサーになっていたかもしれない?

Javier

うーん、それはわからないですね(笑)。

ただ、子どものときは、母親がダンスのスカラシップが終わったら ダンスをやめさせたかったんです。

でも、私はそのあとパフォーミングアーツの高校に進みました。 楽器、歌、ダンス、演技、やりたいことを選んで学びました。

私は歌えないし、演技もできない、楽器もできず、 ダンスだけを学びました。

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そこでいろんなダンスを学んだんですね。

Javier

Javierそうですね、高校でヒップホップやジャズを学びました。

その頃は、ファッション関係のクラブパーティーなどが盛んになり、 ドレスアップした人たちが集まるパーティーが 毎週のように開かれていました。

とても激しい派手な格好です。 普通の格好では入れませんでした。 例えば、馬に乗るようなブーツ、大きなパンツ、ハットや ガウンなど、みんなとても前衛的な発想でした。 派手であればあるほど注目されました。

しかし、大きな事件があって、 クラブは次々と閉店してしまいました。90年代前半のことです。

ちょうど、その時期に行った小さなクラブで ウィリー・ニンジャに出会いました。

彼のパフォーマンスを見た後、私は衝撃でした。 「私はあれがやりたい!」と思いました。

それまで、ヴォーグは知っていましたが、 彼のようなスタイルのダンスは見たことがなく、 斬新でおもしろいと思いました。 とてもトリッキーで、信じられない動きをしていて、 魅了されてしまったんです。

ショーが終わった後、ステージを降りた彼の手をつかみ、 「あなたがやっていたことをやりたいです!」といいました。

彼は「名前は?」といい、自己紹介をしました。 そして、ウィリーと私は近所に住んでいると知って、 いろんな話をして、仲良くなり、帰りに車で送ってくれました。

とても信じられない、最高の時間でしたね。

しかし、そのとき彼はとても忙しく、世界を飛び回っていましたし、 他のメンバーもそれぞれが忙しくなっていたので、 HOUSE OF NINJAを中止していたんです。

しかし、3年経った頃、ウィリーの母親が病気になり、 彼はニューヨークに帰って来ました。

そして、ベニー・ニンジャとリチャード・ニンジャと共に HOUSE OF NINJAを再開しました。

ウィリーが主催者であり、キャプテンであり、 HOUSE OF NINJAニューヨーク支部の マザーとファザーがベニーとリチャードでした。

その時期に私は別のクラブに行っていたので、 HOUSE OF NINJA再開後、 ベニーとリチャードとバトルをして、認めてもらい、加入しました。

支部はマイアミやオークランド、シカゴなどにあり、 支部内でチームとしてバトルをしながら 支部を超えてチームを組んだり、一緒に練習したりして、 活動を広げながら、自分たちの名前を売っていました。

ニューヨークの魅力。


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ハビエルさんは、今ダンスだけで生活を成り立たせているのですか?

Javier

はい。 主に世界でレッスンをしていますが、でも、とても大変です。

いろんなところに行くので、ストレスもありますし、 体力的にも楽ではないです。

欲をいえば、もっと家族や恋人、ハウスのみんなと 一緒にいる時間を作りたいです。

ベニー・ニンジャもニューヨークでレッスンをしていますが、 彼がいないときは、私が教えます。

AKIKO

ニューヨークにいるよりも、 海外にツアーにでるほうがまとまったお金になりますから。

彼は、ヴォーグのレッスンをして、パフォーマンスをして、 コンテストのジャッジなどをしていますね。

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AKIKOさんは?

AKIKO

AKIKO私は今回私がマネージメントしたということもありますが、 私のダンスの師匠が大阪で公演を打つことになっていて、 私とハビエルに舞台に出てほしいと招いてもらいました。

基本はニューヨークが拠点なんですが、 私たち外国人があちらで生活するということは大変です。

6年経ってやっと余裕が出てきて、 人に還元したいなと思うようになったのは本当に最近です。

ただ生きるだけではなく、いろんな活動をしている HOUSE OF NINJAのことをみんなに知ってほしいと思いました。 絶対みんなが喜んでくれると思いました。 でも、自分に余裕がないときはそう思えませんでした。

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ニューヨーク生活はいかがですか?

AKIKO

私はニューヨークの飾らなくて等身大なところが好きです。 周りが誰も干渉してこない。

それが寂しいときもあるんですが、 だからこそ、本質からずれずに何でもできる気がするんです。

私の解釈ですけど、日本だとどうしても自意識過剰になっちゃう。 人がこう思ってるんじゃないかって、みんな気にしてると思うんです。

こんな風に踊らなくちゃいけないんじゃないんだろうか、とか、 かっこよくしなくちゃいけない、飾らなくちゃいけない、とか。

それをこぎれいに見せるのが日本のいいところだと思うんですけど、 私は一回そういうのを全部捨てたかったんです。 ニューヨークに行ったのは、そういうのに疲れたっていうのが きっかけでもありました。あくまでも私の感覚なんですが。

TDM

ニューヨークで学んだことは?

AKIKO

AKIKOユーモアですね。

エンターテイメント性というか、人を楽しませることって 技術的なものではないと思うんですよ。 大人から子どもまで楽しませられる、私はそういうものが好きです。

流行・廃りはあると思いますし、 私は流行のダンスをやっていないので、はっきりとはわかりませんが、 やっぱり、それぞれの宗教とか文化を持った人たちが 集まっているので、どんな流行があったとしても、 エンターテイメントという意味では、変わらないんです。

ニューヨークのレストランには、 インド、タイ、中国、韓国料理があるように、 ダンスにもそれぞれの民族性があって、 それが集まっているのがニューヨークだと思うんです。

そういうところから影響を受けて、自分のものにしていくというか、 ニューヨークは総合的に自分のダンススタイルを 作りやすいんじゃないかなと思います。 流行があるとしても、そこにあるものは変わらないんですよね。

人間って何歳になっても成長していくので、 3日後には違うことを考えているかもしれない。

だから、そのときに見て影響を受けたものが、 積み重なってその人のものになると思うし、 そういう意味での選択肢がものすごく多いという意味で、 私はニューヨークが好きです。

そのときによって好きになるものが違うわけで、 それを選びやすいですね。

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ハビエルさんにとってのニューヨークのダンスシーンで好きなスポットはありますか?

Javier

サリバン・ルームっていうクラブがあって、 ファンク・ボックスっていうパーティーが毎週日曜日にあるんですが、 そのパーティーが好きで、そこにいるダンサーたちも好きですね。 あとはロウアーマンハッタンも好きですね。

14ストリートのユニオンスクエアにも ステキなダンサーたちがたくさん集まりますよ。

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世界を飛び回っていて、それぞれのダンスシーンなどに印象的なことはありますか?

Javier

音楽が違うので、それぞれ違いますね。 DJが変われば選曲が変わって、ダンサーも変わりますから。 でも、自分の好きな仲間たちの集まるニューヨークが一番好きですね。

僕のポリシーは音を感じて踊ること。考えないこと。


TDM

ショーを作るときはどうやって作りますか? 何にインスピレーションを受けますか?

Javier

ショーによりますが、 最初は基本的にはいつでも音楽を聴いて、音に忠実に従います。 ニューヨークのダンサーは音を感じてます。 それは、表情を見ればわかります。 もし感じなかったら、体から何もでてこないし、 それは、僕には耐えられません。

AKIKO

彼の中で、振付よりもフリースタイルが大事だと考えているんです。彼のスタイルはインプロなので。

Javier

カウントに合わせて振りが揃う、それはすばらしい。 でも、何も感じない。

たくさんの人はそのやり方で踊ってるけど、 彼らは音楽を感じてない。

もちろん僕もカウントで踊れるけど、同じやり方じゃない。 僕のポリシーは音を感じて踊ること。考えないこと。

AKIKO

先日お見せしたショーも 振付はせずに、フォーメーションだけ決めました。 アドリブです。彼のようなスタイルを プロフェッショナルじゃないという人もいると思うんですけどね。

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でも、そのタイプのスタンスで貫いてるってことですよね。

AKIKO

Javierそうなんです。誰にでもできることではないです。

私は、彼とは違って、フリースタイルだけだといやなんです。

もちろんその場で音を感じて踊ることも大事だと思うんですけど、 ゆっくり考えて形に落とし込んでいくことも大事だと思います。

それは、彼と違うことなんですけど、 彼のやり方はすばらしいと思うんですよ。

私はニューヨークでもうひとつダンスカンパニーに入っていて、 それも私を作っているので、そのふたつがあって、 今のバランスを取れています。 正直、フリースタイルだけでダンサーとしてやっていくのは恐いです。

彼はこうして世界を飛び回っているからラッキーというか、 彼の才能があるから。

みんながみんな同じように活躍はできないですし、 ダンサーとしての仕事事情は、ニューヨークも日本も変わらないです。

ブロードウェーなどはありますが、 基本的には、教えること、単発の仕事は指で数えられる程度ですし、 彼は特別なんだと思います。 彼しかできないから、そこに需要が集まるし、世界を回れる。

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今後はどんな活動をしていきたいですか?

Javier

私はウィリーと死ぬ前にひとつ約束をしたことがあります。

彼のはじめたことを絶対にやめずに続けること。 そして、ヴォーグを広めること。

そして、確立されたスタイルで、 認知されて、地位を築き、ウィリーの意志を継いでいきたいです。 誰でも性別関係なくできますからね。

AKIKO

私も場所でいえば、ひとつの場所にとどまらず。 いろんな場所に行ってみたいです。

自分が本物だと思ったものを広めていって、皆さんとシェアしたいです。

ジャイロ・キネシスの話にもなりますが、 私がその資格を取ってやっていくうちに、 体の仕組みがわかってきたのですが、 ストレッチの仕方であるとか、 ダンスを好きで踊るだけじゃなくて、長く踊っていけるようにできます。

人によって骨格や筋肉のつき方が違うので、 練習方法も違うんですが、そういう仕組みを伝えていきたいです。

今はジャイロを教えることしかできないので、 自分なりに消化していって、知らない間に、楽しみながら、 怪我をせずに、長くやっていきたいと思ってます。

アーティスティックな面と、フィジカルケアを混ぜたような 総合コーディネートみたいなものをしたいです。

もっと感情を、もっと情熱を。


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先ほど、ハビエルさんは 主にフリースタイルで踊るとおっしゃっていましたが、 ヴォーグや、ランウェイの仕事では、 ポージングや振付をしているのではないのですか?

Javier

演出はデザイナーが考えますが、 どういう風にポーズをとったらいいか、 どういう歩き方がいいかを教えます。

昔、ジョンポール・ゴルチエ、ジョン・ガリアーノ、 アレキサンダー・マックイーンなどのショーでは、 美しいモデルさんが多く、生き生きとしていて、 歩き方やポーズはすばらしかった。 ですが、今は、正しい歩き方を知らないモデルもいます。

昔のモデルたちは、ただのモデルではなく、 キャラクターになりきっていました。 それはとてもおもしろかったです。

あと、今回ミスユニバースの方のランウェイを見ましたが、 彼女はすばらしかったですね。 とても強い歩き方をしていて、素敵でした。

ただ、演出や服にもよりますが、ランウェイでは ただ強いだけではなく、 やさしくソフトに滑らかに歩けるほうがいいですね。 高いヒールで長身のモデルが素早く歩かなくてはいけないので、 一歩一歩を丁寧に歩く練習をしたほうがいいですね。

ナオミ・キャンベル、ジゼル・ブンチェンなどはそういった表現力があります。

雑誌などで見ると、カメラに映ったとき、止まっていても 表情がぼやけてしまうと、印象に残りません。

ジャンルにとどまらず、ダンサーにとって表情をつけることは大切だし、 ダンサーだけでなく、アーティスト、モデルなどにとっても同じ。ビジュアルだけでなく、 感情やパッションをいかにうまく持てるかが大事。

TDM

では、ハビエルさんのパッションは日々のレッスンなどにも含まれているんでしょうね。

Javier

Javierそうなるようにしています。 でも、みんな固い。 「何かいやなことでもあったの? 眠いの?疲れたの?人生でいやなことがあったの?どうしたの?」 って思ってしまうような顔をします。

みんな、燃えていないように感じます。 やらなきゃいけない、という気持ちでやっている。 恐がる必要はないし、キャラクターになりきればいいんです。

当然、生きていかなくちゃいけない。 お金を稼いでいかなくちゃいけない。 家賃を払っていかなくちゃいけない。 私も同じです。もがいています。

それはニューヨークの経済情勢のことにもなりますが、 そのことに気を取られているのか、 特にダンサーは燃えていなきゃいけないのに、 情熱を感じられない人は多いです。

なんだか、今のシーンは殺伐としている気がします。 弁護士や、医者、ビジネスマンには ダンサーよりも多少保障があります。

でも、ダンサーには保障はありません。 怪我をしても、医療費は自己負担。

それでも、もっと情熱を持って踊っていってほしいですね。

TDM

今まで知らなかった話、 皆さんのダンスへのスタンスがわかりました。 今日はありがとうございました。
'12/02/06 UPDATE
interview & photo by AKIKO


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