1990年、おれがNYから日本にハウスを持ってきたんだ。おれが呼ばれたのは、マライアのバックダンサーとして世界的に知名度が上がっていたからだった。
当時日本ではZOOやTRFが人気で、クラブもヒップホップが全盛だった。そこでおれがハウスをした時、皆動揺したのを覚えているよ。
多くの人が「スゴイー!ナニ、コノオドリー!」(※インタビュー中、終始日本語交じりのEJOE)って近づいてきた。何人かはそれまでの自分のスタイルを貫く人もいたけど、NYに来て、おれのレッスンを受ける人もいたよ。それくらい俺がハウスを日本でやったことはシーンに影響を及ぼす事になったんだ。
でも、おれのスタイルも常に変化している。
しかも、3歩先の、新しいことをやっているんだ。
だから、おれのスタイルを伝え広めていくことに戸惑いや抵抗はない。 正直今ハウスは滞っていると感じるよ。
英語教育の底辺がABCなら、俺がハウスのABCをもっと教える必要があると思ってる。みんなでハウス本来の楽しさを分け合えるといいね。
|