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139℃ GOTO×KAZU×唐文智 〜 貫く男たち。 〜
139℃ GOTO×KAZU×唐文智 〜 貫く男たち。 〜
「生涯現役」を貫いているダンサーが、新たな自己表現として、“ダンサーが創るダンストラックス”をリリースした。その立役者として、目黒食堂のオーナーでありダンスシーンにも深い関わりを持つ唐文智の存在がある。同世代を生きてきた仲間同士だからこそ創り上げることのできた作品。ダンサーとしての実績を残すことが難しい今、新たなチャレンジを常に続ける彼等の生き様から、世代の背景とその精神を感じることができる。表現者として音楽を愛し続け、パフォーマンスしているそのエネルギーの根源や、昔も今も変わらないモノ=“貫く精神”が伝わってくるインタビュー。

『139℃』(ハンドレッド・サーティーナイン)レーベル●レーベル“139℃”とは

『ダンサーが創る、東京ローカルダンストラックス』をテーマにした、東京の大御所ダンサー陣から信頼の厚い目黒食堂のオーナー唐文智がプロデュースしたダンスミュージックが、2009年春よりcoolsound先行デジタル配信を行われていたが、この度South to North Records協力により立ち上げられた『139℃』(ハンドレッド・サーティーナイン)レーベルから2009年7月29日にCDとしてリリース。記念すべきレーベル作品第一弾は、「LOTUS MESSENGERS」「Sound Cream Steppers」「laile」ら3組によるダンスミュージック。ストリートダンスを表現ツールに生き抜いてきた彼らの表現力に乗せてメッセージが発信されていく。作品を世の中に発信していくなんてそう簡単なことじゃない。“熱中して作品を創り上げる”その生き様が形になっている。
■作品紹介はコチラ。

東京のダンサーが創る、東京のダンストラックス。

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まず、今回の企画のきっかけから教えてください。



139℃ 〜 貫く男たち。 〜ずばり、タイミングです (笑) 。

HORIE君が40歳になって「何か軌跡になるようなことをしたい」と話していたのと同時期に、KAZUさんが「トークボックス※を始めるから、僕が昔作ったトラックに歌詞を乗せてもいい?」っていう連絡が来たんだよ。

僕自身、リミックスはやってたけど、オリジナルを作る音楽ビジネスをこの6年丸々辞めてたんだけどね。ただ、最近になって、ちょうど僕も昔に比べて音楽が自由になってきたから、デジタル配信というスタンスでまた音楽を始めようかなと考えてた。そんな時の2人からの連絡だったから、タイミングがぴったり合ったんだよね。

やり始めたら、やっぱりみんなキャリアがあるから、だんだん話がでかくなったよ。かといって、大きなタイアップがあるわけでもなく、レコード会社が宣伝費を掛けてくれるわけでもない。だから、個々の力を合わせて、グループでやっていこうという話になり、第一弾として今回の3アーティスト同時リリースという形になったんだ。

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レーベルとしてのコンセプトはありますか?



誰にも迎合しない。こびを売らない。東京のダンサーが創る、東京のダンストラックス。これがわかりやすいコンセプトかな。

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また唐さんが音楽をやろうと思ったのは、ダンサーが創る音楽に、何かやりがいや可能性を感じたからでしょうか?



もちろん、KAZUさんやSound Cream Steppers (以下SCS) からの話だったからこそ、やろうという気になった部分はあるよ。エンターテイナーとして20年間トップを走ってきた人たちだから、どんなものを創ってもやりこなしてくれる自信はあった。だから、新人をゼロから育てたいっていう気はまったくないね。エンターテイナーの人たちと組みたいと思ったんだ。

ちょっと音楽プロデュースで売れると、歌も歌えないアイドルが曲を作ってほしいとか、レコード会社からカラオケで歌える曲を作ってほしいとか、どんどん商業的になっていく。メジャーならいいけど、俺のベースはクラブにあったから、俺はお金のためには作れないと思って、一時期、音楽プロデュース業が嫌になったんだ。

でも、今回このタイミングでみんなと分かり合って、もし、僕がエネルギーを突っ込んだときに、演じてくれるエンターテイナーとだから、一緒にやれる確信があった。要するに目指してるところとか、今まで培ってきたものを共有できる仲間だから、できると思ったね。

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では、アーティストのお二人にお聞きしましょう。今回このレーベルからの第一弾アーティストとして、唐さんと音楽活動をするにあたって、お気持ちはどうですか?

GOTO

俺は、ダンス、ヒップホップにほれ込んで、今までずっと好きでやってきた流れで、自然とラップをしたり、パーカッションでリズム遊びをしていった。その中で、ダンスもそれまで以上に育っていった。今回の音楽もまた、踊りの一環として続けてるだけっていう感じかな。

逆に踊りを辞めて、急に音楽だけをやり始めるというのも無理がある。自然な流れの中で、今回のこういった話があったから、これは本当に理想的だと思った。

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感覚としては、ダンス以外の表現方法が一つ増えた感じでしょうか?

GOTO

そうそう。表現が広がってる感じ。唐さんも俺たち一人一人のスタンスをわかってくれているから、その環境でこういったことができるのは、相当運がいいと思う。

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具体的にそのおかげで助かっていることはありますか?

GOTO

それは後から気づくことの方が多いと思うんだけど、仕事だけの関係じゃない、同じ時代を一緒に頑張ってきた関係だからね。制作する上でも、自分なりの本音で話せることかな。

物事を進めるためには、互いの妥協点を現実的には作らなくちゃいけない。でも、お互いの本音を言い合った上でそれをやるから、わだかまりもないし、結局は互いの力のいいところをセッションさせていければいいと思う。それができているよ。ただ、俺たちはずっと音楽をやってきたわけではないから、一つ一つが新鮮で、勉強中だね。

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ダンスと違って難しいと思うことはありますか?

GOTO

もうその連続だよ〜。前は歌うことはなかったけど、HORIEくんが「ココを歌いたい!」と言って、俺も歌えるもんは歌いたいと思う。あのYUKIも、絶対歌うキャラじゃなかったのに、「いや、ココ歌おうよ。」って言い出した。でも、それは唐さんが「YUKIはやめといたほうがいいんじゃないか。」と止めてくれる。調子に乗るからね (笑) 。こんな風に唐さんが、時間やお金、空間の条件を考えながら見ていてくれるから、SCSは自由にやれる。

これが、3人だけだったら、HORIEさんがリーダーだから現実的なことを考えて、俺とYUKIが自由にやってる。まぁ、それが唐さんがいることで、HORIEさんまで羽ばたいちゃってるけど (笑) 。そこが、唐さんのおかげかな。

自由であることがクリエイティブやアートなことのテーマかもしれないけれど、自由にやりすぎちゃうとゴチャゴチャになることもある。だから、何とかこうしてやれてることだけでも本当に奇跡だと思う。

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そうですね。ではKAZUさんはいかがでしょう?

KAZU

実は2002年に唐さんとCDを出したことがあったんだよね。そのときの経緯があるから、唐さんとやる感覚はもうわかるってるかな。

ダンサーのプロデュースする形の中で、どこまでいっても振付とか、ZOOの時からダンサーがボーカルを連れてきて一緒にやるっていう予想内の形しかないじゃない。それじゃ、その次はどうなるんだろう?っていう気持ちがずっとあった。

トークボックスは10代のときからやってみたいとは思ってたけど、ピアノも弾けないし、一から習ってどうにかするっていう気力もなかったし、めんどくさいと思ってたのに、なぜか一年前にやってみたい衝動に駆られて、いろいろ調べて、やり始めた。

最初はロジャーやザップのコピーから入ったんだけど、すぐにつまんなくなって、2002年の唐さんが作った音があったのを思い出して、それに合わせて適当にハメていった。そしたら、それが楽しかったんだよね。

「じゃ、オリジナルで作ってみよう!」と思って、唐さんにトラックだけもらって、適当に歌詞を自分でつけて、唐さんにそれを聞いてもらったら、「あれだけめんどくさがってたのに、できるようになったんだ」って驚かれたね (笑) 。



まず、鍵盤を弾けないとトークボックスはできないから、それをクリアするのがめんどくさがってたんだよね。

KAZU

でも、ハマっちゃったから必死になっちゃって。結局、2008年4月から6ヶ月くらいで5曲のオリジナルを作ってライブやってた。トラックは唐さんと、昔、ファンクの音を作っていたURAさんに頼んで作ってもらって、そこに自分が歌詞やトークボックスを当てていったんだよ。

ダンスというパフォーマンスの延長上にある、音楽を奏でる手段


KAZU

カポエイラは演奏する人が踊り手にもなって、どんどん代わっていくでしょ。それに、KOJI君たちがたやってるRINGも、ダンサーたちが生でパーカッションを叩いてる。ああいうのを見て、「自分たちが奏でてる音で踊りたい!」って思ったのがきっかけだった。

KOJI君たちはハウスだから、パーカッション。じゃあ、自分たちは何かを考えたときに、ファンクだからトークボックスがいいと思った。俺は歌は歌えないけど、トークボックスなら高い声も出せるし、うならせようと思えばうねらせられる。ある程度歌い方を練習すれば、できると思った。

今もトークボックスする人たちはいるけど、ラッパーの横について合いの手で入れてたり、コーラスだったりして、どうしてもサブ扱い。ロジャーのようにメインでトークボックスをやってる奴は少ないから、やってみようと思った。

俺もGOTOと同じで、音楽とダンスを別々に始めたわけじゃなく、ダンスをやっていく流れの中での今回の出来事。トークボックスの達人になりたいわけではないからね。ただ、ある程度、人前でやるからには恥ずかしくない技術は持っていなくちゃいけない。

ある意味、ダンスというパフォーマンスの延長上にある、音楽を奏でる手段だから、自分たちが奏でる音でパフォーマンスができるということで、一歩進んだ次世代のダンサーとしての形を提示できればいいなと思ってる。

それが、なぜ5〜6年前ではなく今かというと、さっき唐さんも話したけど、音を作るのがものすごく簡単になったから。今もダンサー自身で音を作ってる人もいるけど、もっと踏み込んだ、ウソのない音が今回できたんだよね。



すべて完全オリジナルだしね。自分たちのダンスに合わせた音楽だから、メッセージ性が伝わる。だから、ダンスの世界だけじゃなくて、音楽の世界にも打って出るような形を取りたいね。

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踊りやすい音を具体的に形にするのってどういう作業なんですか?

KAZU

踊りやすい音に行くのには、まだまだ難しい壁がある。やっぱり、ダフトパンクと自分たちが作ってる音、どっちで踊りたい?って聞かれたら、自分も他のダンサーもダフトパンクを選ぶとは思う。

既に世の中には一流のものがあるけれども、こうやって自分たちが奏でる音を打ち出していくことが大事であって、そのクオリティを上げていくことが今やっている挑戦だよね。

GOTO

ダンスも同じ。最初に踊り始めたときのダンスに、まず満足しないでしょ。自分の理想のダンスになるには時間がかかるからね。

ニュージャックとか、スウィングとか、リズムにも名前がいろいろあるけど、本当に踊りやすい音楽っていうのは、理屈では誰も説明できないんじゃないかな。



これは、日本におけるクラブミュージックとダンスミュージックの違いの話だけど、クラブミュージックは、皆が踊れるリズムがあればいい。でもリズムだけだと、展開がなくて飽きるから、コードがのったりしてくる。

でも、フロアをよく見てみると、お客さんが気持ちよく踊ってるのは、ごくシンプルな1〜2つのコードのすごくシンプルなループなんだよね。日本のオリコン上位に入っているようなポップなクラブミュージックと呼ばれているものたちは、歌を聞かせたいから、身体では反応しなくて、耳で引っ張られちゃう。クラブで聞く音は身体で聞く音であるべきだよ。

あと、ミックスダウンとかトラックダウンとかマスタリングとかの仕上げの作業が、日本はあくまでボーカルを表に出す。でも、海外のダンスミュージックはボーカルと鳴り物のバランスが絶妙。だから、音層が違う。さらに、電圧とかの違いもあるから、いろいろ海外との違いは出てくるんだよね。

海外はボーカルはひとつの要素であって、楽曲をトータル的な見方をしている。でも、日本はボーカル重視だから、アーティストばかりを見せたがる。だから、結局ダンスミュージックではあっても、クラブサウンドではない。振付としてコレオグラフすれば踊れるけれど、自然に踊れるかといえば踊れない。

でもね、最近は日本のラップを馬鹿にできないんだよ。音の作り方がすごくよくなってる。やっぱり、そういうのをわかってるエンジニアが出てきた証拠。ジャッジする人間が、古い考えにとらわれず、新しいことに挑戦できるかが大事になってくるね。

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唐さんもプロデューサーとして今回新しい挑戦をしていますしね。



たぶん、僕自身も成長したんだと思う。余計なストレスのない作り方、自分の認めてる相手とだから素直に意見を聞ける。

昔、僕が音楽を一生懸命やってたときは、若くて、しかも仕事としてやっていたから、意見を言われても何でも「はい、わかりました。」で、本音で返せなかった。お金をもらうから相手のリクエストを聞かなくちゃいけなくて、それがストレスだった。

今、KAZUさんやSCSとやるときは、素直にどんどん意見を出し合える。それは認め合っているから。だから、プロデューサーとしては各々のキャラクターをどう立てるかを意識してるよ。

昔の俺はガキだったから、自分のキャラを強く入れていこうとしてた。でも、今、相手のキャラをどう生かせばいいのかっていう感覚に40歳を過ぎてやっとなったんだよね (笑) 。

本当の個性は何も作らず、そのままの自然体であること。


GOTO

今回やってて思ったんだけど、人前で踊ってて、どうしても自分が出てしまうことがあるでしょ?もちろん自己表現ではあるんだけど、自分の中身が見る人が見ればわかってしまうようなとき。本人はかっこつけて、やりたい理想のイメージを描いているんだけど、観客にはそう見えてない。それが音楽でもあるんだよね。

自分なりに渋い声でラップしたつもりなんだけど、やっぱり自分が出ちゃう・・・。でも、それがパフォーマンスのひとつの真実だと思うし、どれだけ恥かいて、自分をさらけだせるかの世界だよね。

KAZU

昔はダンスをしてても、ああいう風に踊りたいとか、こういうことを打ち出したいとかって思ってたけど、今は、そう思わなくなった。自分のまんまで踊ることが個性だと思うから。日本人はわざと個性的に作ったりする部分があるけど、本当の個性は何も作らず、そのままの自然体であること。自然体でダンスと演奏がリンクする感覚にたまになるんだけど、そのときはものすごく楽しいよ。

GOTO

その気持ちは良くわかります。こんな歳にもなって、新しいことに挑戦できる環境が、最高だなって思いますね。

KAZU

20年以上のダンス人生の流れの中で、自然にこんな風な形になったのはすごいこと。やっぱり、勝負できるものが今の自分たちにあるのは、すごい幸せなことだね。

まだまだ若いダンスシーンがあるけど、おっさん世代と一線を引かれないように発信し続けていきたいね。

TDM

この間、GOTOさんにお会いしたとき、「最近時間が足りなくてさ〜。やりたいことがありすぎて忙しい。」っておっしゃっていましたよね。「何をやりたいんですか?」って聞いたら「コンガをもっと練習したい」って (笑) 。素敵だなって思いました。だから、先ほどご自分で奇跡だと言っていたニュアンスが伝わってきます。挑戦、熱中できることがあって、それを人前で出せる、自分が他人から必要とされている環境は幸せですよね。

GOTO

奇跡と言ったのは感謝してるから。唐さん、KAZUさん、SCSのメンバー。一人じゃできることは限られるから、皆で力を合わせる、それがセッション。

KAZU

真剣に生きていると、それをサポートする人間や、一緒にやろうとする仲間が絶対に現れる。それが、自然の摂理だと思う。

今は、ダンサーに向けての音楽発信が目的だけではなく、こういうやり方から次世代の表現者が出てきてもいいし、こういうダンサーとしてのあり方もあるという提案になればいいと思う。

既に、振付師やTRFの母体で今では普通になったけど、“ユニット”のはしりに携わった。ストリートダンスのミュージカル舞台もやったてきたし、ボーカルを抑えた音楽を作ってみたりして、いろいろ自分たちでやってきた流れでの今回だから、ダンサーの中の可能性はほとんど試してきたと思ってる。

それでも、まだダンスシーンは行き詰ってる。ボーカルを連れてきて、いっしょにやってるけど、そこまで止まり。結局、俺たちがやったこと以外のことを若いやつらはまだやっていないと思う。

ダンサーに対しての可能性をより一歩踏み込んで、メッセージを発したい。そして、ラップやR&B、ロックなどの音楽業界にも向けてやっていきたいね。

自分たちがダンサーだからダンサーだけ気持ち良くなれば良い訳ではなくて、そこのホームから自分たちはいいものをこれだけ手に入れて、違う場所にも行けることを、他の人にも知ってほしい。何か一歩踏み出して、メディアに向けて何かを発信することが大事だと思う。

GOTO

枠を超えて、広角にやって行きたいですね。アンダーグラウンドからオーバーグラウンドにも発信できるものを何かやっていけるといいですね。

KAZU

いつまでも俺たちなんかが審査員やインストラクターをしてちゃダメだと思う。いずれ、次の世代のやつらがやっていくだろうし、そうなると俺たちはその先のことを見据えていかなくちゃいけない。そうすれば、下の世代からもどんどん一歩踏み出したことをしてくるやつらも出てくるかもしれない。俺たちが先駆してきたと言われているストリートダンスシーンに、いつまでも同じ形で落ち着いていちゃいけないと思うから。

俺たちにはダンスしかなくて、他の仕事はできない・・・でも、女房も子供もいるから、死に物狂いでやってる。だから、若くても、仕事をしながらでも、何かをブレずに貫いてるやつは、ストリートダンサーだと思うし、心意気がBBOYだね。人生を賭けてやってほしいと思うのは、たぶん美観の違いだと思うけど、そういう気持ちでやっているダンサーがいることも伝えていきたい。

GOTO

どうしても、我々の世代はそういう美観ですよね。それを次世代に強制はできないけれども、その感覚はどうしても隠せないんですよね。僕も普通には働けなくて、ダンスしかなかったので、その気持ちは良くわかります。

KAZU

東京で考えると、俺たちより上の先輩は、俺たちが27・28歳頃からいないんだよね。だから、ダンサーで食べていけるかなんて誰もわからなかったし、実際自分でもダメだと思ってたかも (笑) 。

でも、今俺が47歳でGOTO君が45歳、この時点でもまだまだやれているのは、賭けた結果だね。芸事は博打だからね。

GOTO

ダンスが好きで、いつまでも追っかけてしまう。ヒップホップって何ですか?の時代から追求しているうちに、原点であるニューヨークに行きたい、ジャマイカに行きたい、キューバに行きたい・・・そういう気持ちを実現させる上での投資をしてきたし、これからも、そういう生き方をしていきたい。

だから、その生き方の中でいつかは音楽を自分たちで生み出す流れは、当然の出来事かもしれないですね。

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唐さんはある意味、制作という第三者の目で20年以上ダンサーを見てきていますが、そういう時間をどう捉えていますか?



プロの前じゃ言えないけど、俺もダンスをやってたけどね (笑) 。

KAZU

10代の頃からクラブの世界で音楽を聴いてたから、俺たちよりも詳しいし、クラブを自分で持ってる時点で絶対ダンサーの気持ちは誰よりもわかる第三者だと思う。



横浜のアストロって言うディスコからクラブ人生が始まって、横浜界隈のディスコ、クラブをグルグルするんだけど、ディスコの従業員からDJになって、ずーっと続いてる。たまたま10代の自由な発想でこういう店をやりたい!って話したら“41”って言うバーの雇われ社長になったのが18歳のとき。それが、ターンテーブルでBGMを出すソウルバーのはしりの店を出した。それから、今までずっと続いてる。ある意味、今と変わらず、そのままきちゃった (笑) 。

おかげさまで横浜、東京での空間プロデュース業が成功して、R?hallっていうクラブを作ったのだけど、六本木の昔のかっこよさがどんどんなくなって来たから閉めて、どうしようかと思ったけど、ダイニングバーでもやって、固く稼ぐ道に行こうかな〜と思いつつ、やっぱり音楽から離れられなくて作ったのが目黒食堂。

新しい挑戦だけど、本人たちにとっては自然な流れなんだよね。

GOTO

SCSの3人で20年以上ダンスだけでセッションしてきたけど、正直飽きもあったんだけど、音楽でのセッションによってまたさらに新鮮味が出てきて、嬉しいことだと思う。

KAZU

まぁこういう対談で難しいこと話してきたけど、実際のライブでは何も考えてないからね (笑) 。かなり、頭の中はシンプル。こんなに深いことは考えてないよね。

GOTO

そうですね (笑) 。少年というか、動物的な感じ。何も考えていないよさもあるし、ただ俺たちも大人だから、そこに意味を持たせたいし、ありきたりかもしれないけど、ダンスで夢は叶えてきた誇りもあるから、“夢は必ず叶う”っていうメッセージや、ありきたりかもしれないけど、ダンスや音楽で世界を平和したい・・・。そういうことができたら、もう最高だね。大げさなようだけど、本来のダンスが持ってるテーマだから。

TDM

メッセージを発信し続ける皆さんにリスペクトです。これからのご発展をお祈りしてます。

interview & photo by AKIKO
'09/09/04 UPDATE
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