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Be-Bopについて 〜 The legend of "BROTHERS IN JAZZ"〜
遡ること7、8年前(1999年現在)、日本ではダンスシーンの成熟とともに新しいジャンルのダンスも次々と紹介され、確立されていった。そのひとつに、ロンドンから入ってきた Be Bopがある。ロンドンの "Brothers in Jazz" という3人組、すなわちIrven Lewis(アービン・ルイス)、Wayne James(ウェイン・ジェームズ)、Trevor Miller(トレバー・ミラー)が生み出した、ストリートジャズとでもいうべきダンススタイルであった。

70年代後半から80年代前半、ダンスシーンのなかで…
アービンとウェインはヨークーシャー州リーズ、トレバーはボルトン出身である。アービンらのいたリーズやその周辺のマンチェスター、バーミンガム、ブラックプールといったイギリス北部の都市では、毎週末クラブが盛りあがっていた。最初はレゲエやファンク、ソウルといった音楽が主流だったが、DJがジャズをかけ始めるようになり、70年代後半から80年代前半に北部のダンスシーンは最高潮に達するようになった。

その当時流行っていたダンスのジャンルとしては"Northern Jazz"があげられる。今でこそアービンたちがその面影を残しているスタイルだが、つまり7回8回以上のターン(その頃彼らは15〜20回のピルエット(ターン)をしていたらしい)や、音と共に生み出される特殊な手の動き、躍動的なジャンプ、フロアワーク、数々の大技。北部のクラブではその"Northern
Jazz"の激しいバトルが繰り広げられていた。アービンやウェインはまだその頃ティーンエイジャーで、もちろんバレエやジャズの基礎なんてまったくなかった。ただクラブへ行き、見よう見まねで踊っているだけだった。

フロアでのすさまじいのダンスバトル…
クラブはだだっ広い倉庫みたいなところで、そのフロアは暗黙の了解のうちに3つに分かれていた。つまり、Beginner(初心者)、Intermediate(中級)、Pro(上級)である。上級フロアには必ず"KING"が存在し、それに挑戦する人達のバトルが常に行われていた。バレエの学校などへは行っていなかったアービンは家で一本足しで立つことから始め、2回転3回転とターンの練習を積み重ね、何年もかけて上のフロアへ這い上がっていった。アービンがまだ上級フロアへたどり着く前、ウェインはすでにKINGの座にいた。しかしアービンが上級へやっとたどり着いたときには、ウェインはすでにKINGを引退していた。

アービンのKING争奪戦はすさまじいものだった。ただの技の見せ合いにとどまらず、かなり攻撃的なバトルだった。ターンをしながら相手を突いたり、フロアワークをしながら相手の足を引っ掛けたり、時にはTシャツを破いたり、あらゆる手を使ってバトルでの勝利をものにしようとしていた。そしてアービンもKINGを勝ち取り、頂点を極めた。

その頃チームとして有名だったのは、"Jazz Defecters*"と"IDJ"というチームだった。Jazz Defectersは当時TVや映画にひぱっりだこの有名人で、BeBopの前身ともいえるNorthern Jazz系統では最初に世に出たチームである。IDJは、知る人ぞ知るBrothers in Jazzとのボクシングリングバトル**の相手チームで、系統としてはフュージョンの要素が強い。フィージョンというのはあまり日本では馴染みがないが、ジャズにあわせてファンクを踊っているようなものだといえる。
*Jazz DefectersはBrothers in Jazzよりもっと前に活動していたチームで、歌もうたっていた。今知られているbebopのスタイルよりさらにJazzに近いようなスタイルであった。アービンはバトルでこの4人を同時に相手して勝ったとの逸話もある。

**ボクシングリングバトルは、ボクシングリング上の、Brothers in JazzとIDJの2チームによるダンスバトル。TV中継や新聞掲載もありかなりの話題となった。勝者はIDJだったが、それについて大論争が巻き起こったらしい。

Be−BOPが生まれた瞬間…
アービンは最初、ウェインを誘ってチームを組み、何か誰もやっていないようなスタイルはないかと試行錯誤した。マンボの知識があった二人は、ふとジャズのクラブで速いアップテンポのジャズミュージックにあわせてマンボを踊ってみたところ、見たこともないような足さばきが生まれた。それが今みなが目にしているBeBop特有のステップだったのだ。二人はそれを極め、スタイルを確立させていった。アービンとウェインは二人でやってみたものの、それは途中でウェインが逃げ出してしまうほどハードなものだった。そこでトレーバーを誘って三人のチームとなり今の形となった。
Brothers in Jazzのメンバーがバレエやジャズをちゃんと勉強したのは "UrdengAcademy"というダンス学校だったが、それも北部で一連のダンスバトルを戦い抜いた後、ロンドンに出てきてからのことである。BeBopがバレエ、ジャズ、ファンク、ソウル、レゲエ、そしてマンボなどすべてのダンスのミックスであるというのは、見た目だけのことでなく、彼らがクラブシーンとカレッジの両方で経験してきたという過去があったからである。
アービンとウェインの初来日86年になる。まだチーム結成前のことで、IDJとともに来日、ファッションショーのモデル兼ダンサーとして登場した。そして正式にチームを結成、Brothers in Jazzとして初来日するのは91年のことである。記憶にある方もいると思うが、パルコのCMに登場し、日本人がBeBopを目のあたりにするところとなった。
最後に、BeBopという言葉の由来だが、これはジャズのジャンルの一つで、ものすごいアップテンポのもの、しかもそのほとんどがImprovisation(即興)で演奏されているのもののことをさすと思われるが、厳密な定義については不明な部分も多い。

'99/11/14 UPDATE
文責:Yuri-Kuroda

1975年生まれ。青山学院大学ジャズダンス部、後藤早知子バレエスクール、DANCEWORK IN LONDONなどを経る。ロンドン在住経験があり、Brothers in Jazzを師匠と仰ぐ。スイングをメインにマンボやステージ・ジャズ、ファンクの要素をミックスし、現在(1999年現在)"MANJALATINO"を結成。(またRAVE2001で話題になった"Si:Dz"の主要メンバーとしても活動している。)その他イベントオーガナイズやダンサー、コレオグラファー(振り付け師)、また日本でBrothers in Jazzのアシスタントとしても活躍。雑誌掲載など多数。
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